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    エペソ人への手紙6章1〜4節


    子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。 これは正しいことだからです。

    96.03.17 三鷹福音教会 ラルフ A. スミス牧師 講解説教
    ラルフ・A・スミス師の講解説教を要約し補完する「三鷹福音教会・週報」からの転載です。

    親と子

    第5戒に関するパウロの議論は、第7戒の議論と似た構成を持っている。おそらく、妻も子も同様に「従いなさい」と命じられていることが、6戒と7戒の順序を逆にし、7戒と5戒とを並ばせて書いた理由の一つだったのかも知れない。パウロはまず始めに子どもたちに従うよう命じ (6:1-3) 、それから子どもたちを主に従うよう訓練する父親の使命へと話を進めていく (6:4)。

    服従

    パウロの命令を理解するには、「服従」の意味を考えることは不可欠である。両親に従うということは、ただ言われたことをやればいいということではないことは皆わかっている。ジョージ・ワシントン (George Washington) は、真の服従の三つの原則というものを教えたと伝えられている。これらが実際に彼の原則であるのか、或いはもしそうであっても彼がいかにしてこれらを思い付いたのかはわからない。しかし、この原則が聖書的であることは明らかだ。

    第一に、真の服従は、完全に従うものである。これはサウルの話にも見られる。サウルは、神に部分的に従ったが、その不従順のゆえに厳しく叱責を受けた (1サム15)。 第二に、真の服従とは喜んで従うものである。神は、荒野のイスラエルに対して、彼らが絶えずつぶやいたために怒りを発せられた。彼らはいやいやながらやらされようとしていたことを最終的に行なったのだが、それは服従としては数えられなかった。第三に、真の服従とは時宜を得たものでなければならない。やるべきことを先に伸ばすことは明らかに不従順の現われである。この原則は、ダビデの将軍の一人、アマサの話に描かれていると思われる。アマサはただ単に命じられたことを先に延ばしたわけではなかったことは明らかだが、彼がぐずぐずしていた結果、ダビデは戦いをせざるを得なくなり、またアマサ自身の命をも落とすこととなってしまった (2サム20:1-13)。

    現代のアメリカでは、服従という言葉に否定的な響きがあり、独断的権威に対する卑屈な服従を多くの人に連想させる。一方、真の服従とは、感謝、信頼、愛の表現である。親の権威が愛の表現であるのと同様である。ほとんどの子どもは、両親が自分たちを危険から守るために従うよう命じているのであって命令をするのが楽しいからではないことをかなり幼いうちから学んでいる。ほとんどの大人は、従わなかったためにひどい傷を負ったり、時には死にさえ至ってしまった子どものことを直接知っていたり、或いは、話に聞いたりした辛い思い出を持っている。

    心理的な面においても、服従を学ぶことは子どもの教育に不可欠である。服従がどこかで二つの意志の衝突に直面することは免れない。子どもは母親が命じることをしたがらず、父親が禁じることをしたがるのである。子どもが自分の意志に逆らい、従うことを学ぶとき、その子は人生の中で非常に大切な教訓、即ち、自制を学んでいるのである。今日不当なまでに低い評価を受けているこの自制というものは、使徒パウロによって聖霊の実の一つとして数えられている (ガラ5:22-23)。

    自制はまた、自己管理という、自制よりも幾分広い概念の中心であり、その次に他のあらゆる形態の管理、支配の土台でもある。自分自身を支配することを学ぶことは、その子にとって、自らの思いがどうであれ、それが正しく従うべきであると自らが理解する基準と真理とにしたがって人生を方向づけていくことを学ぶ最初の一歩なのである。従うことが正しいがゆえに両親に従うことを学ぶ子どもは、社会の中の権威にも従うよう成長していく。彼らは会社の同僚たちや近所の人たち、また教会の指導者たちと協力していくにも、自制を必要とするようになるのである。

    服従を学ぶ宗教的重要性も明らかだ。地上の両親の権威を敬い、その言うことに喜んで従うよう成長するなら、天の御父の命令と権威にも従えるようになる。地上の家庭における愛と従順は、神の家庭における永遠の関係の土台である。

    服従には制限があることもまた述べておかねばならない。それは「主にあって」という言葉によって暗示されている。この言葉は、親に対する服従を神に対する宗教的使命として考えるよう子どもたちに命じているのであるが、子どもたちは親が権威を正しく行使しているときのみ従うべきであることをも暗示している――即ち、彼らは罪を犯すよう強いられてはならない。これは親に対する助言の働きをもしている。親は神を代表としているゆえ、その権威を子どもたちの祝福のために用いるべきであって、横暴な用い方、不注意な用い方をしてはならないのである。

    子どもたちは正しいがゆえに従うべきであるとパウロは言うが、それは、何が正しくて何が間違っているのか、善か悪かによって事柄を考えるよう子どもたちに教えているのである。従うことが正しいのは、創造主なる神が家庭の秩序を定め、両親に自分の子どもたちを愛し、教え、訓練するよう命じられ、子どもたちに両親を愛し、従うように命じられたからだ。幼いころから正しいことを求め、行なうよう学ぶ子どもたちは、大人になったときに自由を得るよう訓練されているのである。

    約束を伴う命令

    パウロは、その服従についての教えの根拠として、第5戒を明白に指し示している。しかし、彼が実際に述べているのはその命令に付随する約束の方である。「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする」(6:3)。パウロは5戒の言葉遣いを新しい契約の状況に合うように若干変えている。新しい契約の下で、我々はパレスチナの「地で」というよりも「地上で」長く生きるのである。しかし、基本的な約束は変わらず、新旧両方の契約の一致、特に契約の祝福の一致を示すもう一つの実例となっている。ここでパウロが約束していることは、歴史上でも明らかだ。聖書の律法に対する服従によって導かれる国々は、極悪非道に神に対して不従順な国々よりも経済的レベルも高く、寿命も長いのである。

    契約の約束は両親に従うよう子どもたちを励まし、彼らが神によって祝福を受けることができるようになるためのものだ。この世における契約の祝福をまとめれば幸いと長寿だと言えるが、これらは両親に従うことに対する大いなる約束なのである。両親に従うことの重要性はこれ以上深い意味で強調されることはないだろう。

    父親による子の訓練

    パウロは子どもたちから始めるが、責任がより重いのは明らかに両親、特に父親の方である。教育は父親の責任である。母親の方が子どもたちと過ごす時間は多く、実際に毎日の教育の働きをしているのも母親であるが、父親の責任は変わらない。父親は神礼拝と神知識において家庭を導く家庭の祭司かつ聖書の教師である。家庭におけるキリストの代表として、特に子どもたちに関してその権威と責任は大きい。そのため、父親がキリストのような公平と愛のうちにふるまうことはますます重要なことである。罪人であるため、権威にある人間はみな、父親も含めて、軽率や横暴な判断への誘惑を受ける。

    父親の責任は子どもたちに神の御言葉を教えることである。それがパウロの言う「主の教育と訓戒」の意味なのだ (6:4)。パウロの命令は、申命記6章4〜9節におけるモーセの教えの繰り返しである。父親と母親の契約的責任は全く変わっていないが、そこには発展がある。モーセはイスラエルに、まず神の律法を心に刻み、それから子どもたちに律法を熱心に教えることによって神への愛を表わすよう命じた。これには、神の御言葉で満ちた日常の生活様式と同じく、律法を正式に教えることも含まれていた。パウロはその命令をキリストと関連づけることによって広げているのである。「主の教育と訓戒」が知識のすべての領域においても徹底的に聖書的な教育を与えることを意味していることは確かであるが、教育は子どもたちをキリストを愛し、キリストに献身するよう訓練することである。父親は、キリストに似た者と成長していくように子どもたちを訓練するキリストのような教師となるべきなのだ。キリストは我々のために律法を成就し給い、その真の意味を我々に示されたお方である。キリストにあって栄化された神の律法は、キリスト者である父親が子どもたちに受け継いでいくよう命じられている基準なのである。それによって神の御国は一つの世代から次の世代へと我々の家庭を通して成長していくのである。


    著 ラルフ・A・スミス師 
    訳 工藤響子
    著者へのコメント:kudos@berith.com
     

    エペソ人への手紙5章22節

    エペソ人への手紙6章5〜9節

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