HOME
  • 福音総合研究所紹介
  • 教会再建の五箇条
  • ラルフ・A・スミス略歴
  • 各種セミナー
  • 2003年度セミナー案内
  • 講解説教集

    ローマ書
      1章   9章
      2章  10章
      3章  11章
      4章  12章
      5章  13章
      6章  14章
      7章  15章
      8章  16章

    エペソ書
      1章   4章
      2章   5章
      3章   6章

    ネットで学ぶ
  • [聖書] 聖書入門
  • [聖書] ヨハネの福音書
  • [聖書] ソロモンの箴言
  • [文学] シェイクスピア
  • 電子書庫
    ホームスクール研究会
    上級英会話クラス
    出版物紹介
    講義カセットテープ
  • info@berith.com
  • TEL: 0422-56-2840
  • FAX: 0422-66-3308
  •  

    ローマ人への手紙4章17〜25節


    4:17 このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。

    4:18 彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。

    4:19 アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。

    4:20 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、

    4:21 神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。

    4:22 だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。

    4:23 しかし、「彼の義とみなされた。」と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、

    4:24 また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。

    4:25 主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。

    99.07.04. 三鷹福音教会 ラルフ A. スミス牧師 講解説教
    三鷹福音教会の聖日礼拝メッセージおよび週報をもとに編集したものを掲載してあります。


    試された信仰

    4章17〜25節

       4章に入ってからパウロは、「すべて信じる者の父であるアブラハム」の信仰がどのようなものだったかをぞっと説明してきた。アブラハムの信仰の生涯は、ただの“物語”ではない。聖書が記録しているすべての出来事は、神を信じてアブラハムの信仰のうちを歩むことが何を意味するかを私たちに教えるために、神の知恵によっていわば演出されている(4章23〜24節)。それ故、パウロは、信仰による義認の教理、律法と信仰の関係、割礼と信仰の関係を、抽象的な神学議論によらないで、神がアブラハムを扱われた歴史を通して説明する。

       また、私たちは彼の人生を貫いて神がその信仰を試されたことを見るのである。それは、アブラハムの信仰を聖め、強くするためにとどまらず、アブラハムが約束を相続したのはただ信仰のみによるものであったことを十二分に明らかにするためであった。アブラハムは神の御前で信じるすべての者の父となった。契約の約束が御恵みによって私たちのものとなるためである。

     

    復活の信仰を持つ

       アブラハムは、ユダヤ人の律法を受けた後でクリスチャンになったわけではない。律法が与えられる以前に義と認められたので、アブラハムは、異邦人にとってもユダヤ人にとっても信仰の父である。また、割礼を受ける前にアブラハムは神を信じたので、割礼を受けた者の父であるし、割礼を受けてない者の父でもあるということも説明してきた。そして、この4章の最後の部分でパウロは、アブラハムの信仰の本質的な話をしていると言ってよいと思う。

       つまり、4章17〜25節のところでパウロは、アブラハムのことを通して更に、復活の力を持つ神を信じること、約束を必ず守ってくださる神を信じることについて私たちに語っている。アブラハムの信仰は復活の信仰であったことを強調しているのである。この4章17節からパウロは、今までとは違った視点からアブラハムの信仰について語っている。まず22節までを一緒に考えたい。

    17このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。18彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。19アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。20彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、21神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。22だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。

       前のところでパウロは、どのようにしてアブラハムは義と認められたのかについて話す。アブラハムは、ただ信仰によって義と認められたのである。では、その信仰はいつのことなのか。それは、割礼を受けるよりずっと以前のことであった。更に17節からパウロは続けてアブラハムの信仰をその人生を通して説明するわけである。

       神が最初にアブラハムを呼び出したのは創世記12章のことであった。神はアブラハムに、自分の故郷を捨て、自分の家族から離れ、神が示す地に行くように命じた。神は、「そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう」と、アブラハムに約束をお与えになった。アブラハムを神の民のリーダーとすることを約束したのである。アブラハムに与えられたこの約束は、エデンの園におけるサタンに対する呪いの言葉の中でエバに与えられた「子孫の約束の継続」であった。エバの子孫はサタンとその仕業を破壊することにより、世界の救い主、また真理をもって神を礼拝する救われた人類の新しい頭となるはずであった。

       その約束の成就は、部分的に挫折してしまうとは言え、セツにおいてはっきりと見られる。セツはカインの子孫とは対照的で、神に仕えるセツ族の頭となった。ところが、最終的にセツ族も身を滅ぼし、神に背を向けてしまう。「新しい人類」の父となった次の人物はノアであった。ノアはその人生において忠実であったが、明らかに約束の人ではなかった。真の「女の子孫」はまだ来ていなかったのである。神に信頼を置いたすべての人々は、「エバの子孫」についての約束を信じて、救いの望みのすべてをその約束の望みのみに置いていた。アブラハムにとって「約束の子孫はあなたを通して来る」と告げられたことは、人間に与えられ得る最も大いなる約束と祝福であった。彼は神の約束に信頼して故郷ウルの町と家族を後にしたのである。

       召命を受けたとき、アブラハムはその約束を信じ、父の家を離れてカナンの地に行った。神の御言葉をひたすら信じて神に従った。しかし、いくら年月が経っても約束の子どもは与えられない。アブラハムはもう年を取っていた。老人となったアブラハムにいったい神はどのようにしてその約束を守ってくださるのかがもうわからなくなってしまった。神の約束を信じなくなったわけではない。それはパウロが明確に言っている通りである。しかし、アブラハムはペンテコスト派ではなかった。アブラハムの信仰は、神が機会ある度にやたらと奇跡を行ってくれることを期待する一部の現代キリスト者が持っているような類いのものではなかった。すぐに「神が約束したのだから今に奇跡が起こる」と思ってしまうような信仰ではなかった。

       創世記15章でアブラハムは「私の家の相続人はエリエゼルしかいません。どのようにあなたは私を祝福してくださるのでしょうか」と言っている。「もうダマスコのエリエゼルが相続人になるしかないのではないか」と思った。「きっとそのようなかたちで神は自分を祝福するのだろう」と思ったりしていた。このことに対してアブラハムは明らかに喜んではいなかった。

       しかし、神は彼に「そうではない。あなたから生まれ出る子孫が祝福されて大きな国となるのだ」と仰せられた。つまり、「あなたを通して、わたしはエバに与えた約束を守る」という意味なのである。そして、神は「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい」と言われた。さらに神は、「あなたの子孫はこのようになる」と仰せられたのである(創世期15章5節)。「アブラハムは神を信じた」と言われているのはこの時であり、「それが彼の義とみなされた」のである(同15章6節)。

       アブラハムの話を読むときに、「子どもが与えられるか与えられないか」というレベルでこの物語を考えてはならない。「エバに約束されたその子孫が実際にアブラハムに与えられるのか、与えられないのか」という本質的な意味を見落としてはならない。つまり、「世の救い主となる子孫がエバによって生まれる」という創世記3章15節の約束が問題なのである。それで、アブラハムもアブラハム以前の人々も、その救い主である「女の子孫」が与えられるようにと求めていた。それで、「あなたを通してこのエバの約束が成就し、その救い主がこの世に生まれる」という約束を受けたとき、アブラハムは非常に大きな特権が自分に与えられたことを知った。それ故、生まれ故郷を離れて神が示すカナンの地に行き、そこでずっと神の約束を信じて待っていた。

       しかし、いつまで待ってもその約束はかなえられない。それでアブラハムは、「もしかすると、しもべのエリエゼルを通してその約束は成就されるのかもしれない」と思ったわけである。しかし神は、「エリエゼルがあなたの跡を継いではならない。あなた自身から生まれ出て来る者が相続人である」と言われた。アブラハムはそれを信じた。しかし、16章に入ると妻サライは「主は私が子どもを産めないようにしておられるのだ。きっと私の女奴隷ハガルによって約束は成就するのでしょう」というふうに考えた。このことは、当時ではごく一般的なことであった。つまり、子どもが与えられない場合には、女奴隷によって子どもを求め、生まれた子どもはその正妻の子どもとなるという、いわゆる女奴隷を“代理母”とすることで子孫を得ることが当時では一般的に行なわれていた。それは当時では別に変なことではなかった。

       そうすることはこの件に対する理に適ったアプローチに見えたので、アブラハムはこれに応じてサライの言う通りにした。後にヤコブはこの件でアブラハムにならい、ラケルとレアのために彼女たちの女奴隷たちを通して子供をもうけた。しかし、これは神がアブラハムに子どもをお与えになる手段ではなかった。神はアブラハムから、より徹底的な信仰を求められたのである。17章で、アブラハムが年老いて「死んだも同然となった」とき、神は再び彼に現われて、彼を「アブラム」ではなくて「アブラハム」とお呼びになった。神は、ハガルによって生まれた子どもは約束の子ではなく、サライから生まれる子どもが約束の子であることをアブラハムに告げた。そして神は、サライの名をサラと改めるように命じてから、「わたしは彼女を祝福しよう。確かに、彼女によって、あなたにひとりの男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、国々の民の王たちが、彼女から出て来る」と告げた。

       その時、アブラハムは、「百歳の者にどうして子どもが生まれようか。無理な話だ。サラもすでに90歳だから子どもが産めるはずはない。今まで何十年も子どもを求めて祈ってきたのに与えられなかった。どうしてこの老齢になって死んだも同然の私たちに子どもを産むことができようか」と思ったりして、心の中で笑った。この世的に言うならば、確かにもうアブラハムもサラも子どもを産むのは不可能な状態にあった。アブラハムは態度や行動において不信仰を表わすようなことはしていないが、心の中でひそかに笑った。すると神は、「いや、あなたの妻サラがあなたに男の子を産むのだ。その子をイサクと名づけなさい」と命じた。アブラハムは自分とサラにとってはもう遅すぎると思ったのである。それで、イシュマエルが受け入れられるように祈った(創世期17章17〜18節)。実に神は、その時まだ存在しておらず、人間的に言えば存在し得なかった「イサク」の名を、あたかも存在しているかのように呼ばれたのである。

       アブラハムもサラも“死んだもの”であったが、「女の子孫」はサラを通して生まれるように定められていたのである。「イサク」とは、「彼は笑う」という意味である。アブラハムは、自分の子の名においても、神の約束を受けたときに心の中で笑ってしまった自分を一生覚えなければならなかった。しかし、「彼は笑う」という言葉には「喜び」という意味もあった。それが約束の子イサクの名前となった。アブラハムは再度その約束を受けたときに、神を信じた。神の御言葉が与えられるとき、アブラハムは常に神を信じて栄光を神に帰し、続けて神に従ったということをパウロはここで強調する。

       それで、アブラハムの信仰の本質は、最終的には「奇跡を行ないたもう神を信じる」という話になる。しかし、アブラハムは自分の悩みに対する神の答えが単純に奇跡となるとすぐに思うことはなかった。「さあ、神は奇跡を行われるのだ」とまず考えることはしなかった。他のすべての道が断たれ、まったく不可能となったときに、甦りの力、復活のような力を神が表わしてくださらなければ、イサクという子どもは与えられはしない。アブラハムは、神にはその力があることを信じていた。「復活の信仰」以外のいかなる信仰もとても役には立たない状態にアブラハムとサラは置かれていた。もはや“自然”の方法で切り抜ける道はなかった。

       相続人はしもべエリエゼルでもなく、代理母の子でもない。約束が成就される唯一の道は、「“死んだ”アブラハムとサラからいのちが誕生する」というものであった。アブラハムは、「疑うようなことをせずに」神を信じ、神に栄光を帰した(ローマ人への手紙4章20節)。普通の人間の考えではそのような望みを抱く理に適った根拠などどこにもないという現実にあったもかかわらず、アブラハムは神に望みを置いたのである。彼の信仰の質は、その人生において、イサクが若者に成長した後に試されることになる。神が約束の子孫イサクを御自分への全焼の犠牲としてささげるよう命ぜられた時もアブラハムは躊躇することなく従った。それは、アブラハムがこの時までに、神は「死者を生かし」たもう神であるから、「神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じ」ていたからである(ローマ人への手紙4章21節)。

     

    また私たちのため

       なぜ神はこれほど大変な方法でアブラハムを導かれたのかというと、それは「また私たちのためです」とパウロは24節で説明している。アブラハムの全生涯において続いた神の不思議な導きはすべて私たちに教えるためであったと言うのである。アブラハムはそういう意味で、信じるすべての者の信仰の先例を作るという特別な人生を送ったのである。彼の人生の使命は信仰者としての先例を作ることにあったので、はっきりした信仰が要求された。自分の故郷を捨て、友人を捨て、家も何もかも後にして、まったく未知な地に行き、そこで死ぬ日まで生活を送るようにという召命を受けたのはアブラハムが75歳のときであった。もう子どもではなかった。もしアブラハムがまだ二十歳や三十歳だったなら、それはずっと簡単なことだったかもしれない。75歳ですべてを捨てて全く未知のところで新しいスタートをするのは大変なことである。

       75歳で新しい人生の出発をしようとする人に会ったことがあるだろうか。それは非常に稀なことだと思う。40歳台であってもかなり大変なことであろう。アブラハムは75歳にして、信仰によって完全に新しい人生を踏み出したのである。75歳になってもまだ子どもはいなかった。75歳の夫婦にとってそれは深く心に覚えずにいられないことであったのは疑問の余地はない。それで、神からその約束を受けたとき、二人はその約束を信じてカナンの地に行ったのである。カナンの地で長年生活したが、結局子どもは与えられない。それだけの年月が経てば、もう約束が信じられなくなってしまうのが普通だろう。しかし、神はアブラハムを試し、長い年月待たせるようにさせた。なぜなら、神の約束が最初に与えられたとき、それはまだ復活の奇跡への信仰を要求するものではなかった。それで神はアブラハムを待たせられたのである。

       ひたすら待つ状態は二十年以上も続いた。どうなるのかもわからないし、いつ与えられるのかもわからなかった。しかも、その一つの約束に自分の人生のすべての意味がかかっていたのである。即ち、「エバの子孫が私を通して与えられ、そのエバの子孫が世界の救い主となる」という約束であった。その子孫は、世界を救う者となる。アブラハムはそれを望み、ずっと神を待ち望んだ。その間、アブラハムはカナンの地で移動を続けながら福音を伝え、迫害されたことも度々あった。アブラハムの信仰を見るときに、神を信じることによって彼の人生に何か人間的に大きな利益があったようには見えない。全部を失ってからカナンの地に来て、迫害され、更にその家族は400年間奴隷になるという“約束”も受けて、すべての試練と闘い続ける人生であった。400年間アブラハムとその子孫はエジプトに虐げられ、モーセの時代になってやっと解放された。

       そのような約束を受けたアブラハムの信仰は私たちにとってよい模範である。それを見て、神を信じるとはどういうことなのかを深く学ぶ必要がある。そのようにパウロは教えている。「信仰は必ず試される」ということを私たちはアブラハムを通して知らされる。私たちは皆アブラハムと同じように試されるわけではない。しかし皆が試される。何回も何回もアブラハムの信仰は試され、炎によって金が練られて純金になるようにアブラハムの信仰は試された。最後に子どもが与えられて祝福されたが、その時までアブラハムがずっと忠実でなかったならば、その祝福も受けることはなかったのである。神は約束したものを与えないのではない。アブラハムがその約束を受けるのに相応しい者になるまで彼を成長させるということであった。

       もし、子どもに、その子どもが耐えることのできないほどの祝福を与えてしまうなら、その祝福は呪いに変わるであろう。アブラハムに祝福を与える前に、アブラハムがその祝福を正しく受けることができるように、神は試練を通してアブラハムを十分に成長させてくださり、最後に約束の祝福を与えてくださった。実に、すべてが不可能だというところまで導かれるのである。「不可能であっても、すべてにおいてもう何一つ望めない状態になっても、それでも神の約束を信じるのか」と問われても「はい、信じます」と答えることができるようになるところまで導いてくださるのである。

       私たちの信仰も、復活の主また救い主であられる主イエス・キリストに堅く信頼するものでないかぎり、救いに至る神知識に至ることはできないのである。多くの現代人にとって、復活の真理を信じることが彼らの直面する最初の試練となる。しかし、神は試練を通してアブラハムの信仰を聖められたと同様に、私たちの人生の歩みにおいてもかなかすを燃やし、信仰を聖めるよう導いてくださるのである。

       そのような信頼を神にささげるとき、神の救いの力はそこに表わされ、「約束の子イサク」は生まれる。ハガルの子イシュマエルは家を出ることになり、アブラハムはサラによって生まれたイサクを信仰の相続人として育てた。イサクが成長すると、神は「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい」とアブラハムに仰せられたのである。その時もアブラハムは、復活の力を持ちたもう神を信じて神の御言葉どおりに従ったのである。翌朝はやくアブラハムは、神の仰せのとおりに全焼のいけにえとして息子イサクを連れてモリヤの山に登った。そして、そこには神の備えがあったのである。

       そのアブラハムの人生は実に不可能の連続であったが、その続く不可能の中にあってアブラハムはとにかく神の御言葉を信じた。神は御自分の言葉を完全に守る力ある御方であることを固く信じていた。困難のどん底にあって常にアブラハムは神を信じ、その不可能な状態の中にあって神の真実を信じたのである。それゆえ、ローマ人への手紙4章17節のところで、「死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で...」という言い方によって、アブラハムが信じた神がどのような御方なのかを彼は深く理解していたことを明らかにしている。

       まだ何も無い状態の中でアブラハムは「神は、無いものを有るもののようにお呼びになる御方」であることを信じ、その約束を信じて行動したのである。「死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる」とはどういう意味なのかをサラの不妊の胎とアブラハムの不能の両面からパウロは説明するが、どちらも死を暗示するものであった(4章19節)。

        復活の神を信じるとき、それは当然私たちの信仰にもつながるということが後のところで説明されている。なぜかというと、復活した主イエス・キリストを私たちは信じて義と認められたからである。その点においては、私たちの信仰とアブラハムの信仰は同じだということをパウロは説明している。私たちが福音を信じるのはキリストの復活の二千年後のことではある。けれども、それは、神がどのような御方なのかということを知って神の御言葉を信じ、目で見たこともなく、手で触れたこともないことを、信じることである。そういう意味で、アブラハムと同じような信仰でなければならないのである。

       キリストの弟子トーマスは、主イエス・キリストが復活したとき、すぐにはキリストの復活を信じなかった。ところで、新約の時代であっても旧約の時代であっても、「きっと奇跡が起こるに違いない。奇跡は必ず起こる」というような信仰を誰も持たなかったという事実を知らなければならない。奇跡は非常に稀なことであって例外なことであったのだ。奇跡に対して、人々はまず疑念を抱くのが普通であった。例えば、群衆に食べ物がなく、どうなるのかと弟子たちが心配するときに、「安心しなさい。きっとキリストは奇跡を行なって天からマナを降らせてくれるだろうから...」というふうに奇跡を当然のものとして考えるような人はいないのである。奇跡に対するそのような変な信仰を普通は誰も持ってはいなかった。そのような変な信仰は、聖書の中にはない。奇跡は普通にあることではないのである。

       そういう意味では、当時の信者は私たちと同じ信仰を持っていたのである。日々の生活の中で何か困難に陥ると「神が奇跡を行なってくださるだろう」というように私たちは考えない。弟子たちもそのようには考えていない。アブラハムもそうは考えなかった。奇跡はまさしく「奇跡」なのであって、非常に例外的なことであった。トーマスもそのように信じていた。他の弟子たちも同じ信仰であったのだ。しかし、「奇跡はないだろう」と思った弟子たちが「不信仰であった」と責められるのはなぜだろうか。それは、キリストの約束があったからである。

       主イエス・キリストは何度もはっきりと、御自分が十字架にかかって死ぬこと、そして三日目に復活することを弟子たちに話していた。それは約束であった。そのキリストの言葉を堅く信じることができなかった弟子たちの心はまさに不信仰であった。約束が明確に語られていたのに、それを信じなかったのである。それはまさしく不信仰の罪に他ならない。逆に、何も言われていないのに、「きっと奇跡が起こるだろう」などと考えたりすれば、それはまた違う意味での不信仰になる。それは、神の契約的な御支配を信じないという罪である。神は、契約的に万物を支配し導いておられるので、奇跡は普通どこにでも起こるようなものではないのである。

       主イエス・キリストが復活したとき、弟子たちを初め、誰も信じなかった。その不信仰な弟子たちにキリストは復活した御自分を現わし、彼らに御自分を見せたので、弟子たちは信じた。ところがトーマスはそこにいなかった。十人以上の証人がいたのに、トーマスはその証しを信じようとはしなかった。「私たちは復活した主を見た」「私も、確かにこの目で見た」「本当に主はここに来られて、私たちに御自分を現わしてくださった」「主はこのように私たちに語られた」と、自分の最も信頼しあっている最愛の同労者たちが、絶対に嘘を言うはずもない兄弟たちが、皆で口を揃えて証ししているのに、トーマスは「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と言って、どうしても信じなかったのである(ヨハネの福音書20章24〜25節)。

       その後キリストはトーマスにも御自分を現わして、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」(同20章27節)と言われた。復活のキリストを実際に見たとき、トーマスは跪いて「我が主。我が神」と言ってキリストを礼拝した。キリストはトーマスに、「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです」と言われた。つまり、「見たから信じるのではなく、復活した私を見ることができないのに信じる者は幸いです」と言われたのである。

       私たちはそういう意味でアブラハムと同じ状態である。復活したキリストは私たちには現われてはいない。証人に現わされて、その証人の証しが聖書の中に書き記されてある。私たちは、その聖書の御言葉に書いてあることを本当に心から信じてそれに従って歩むかどうか、それによってすべては決まるのである。「ペテロは嘘をつかない人だから、私は信じる」という話ではない。「弟子たちはみな証しのために自分たちの命を落としたのだから、その証しはきっと本当に違いない」といって、そのために信じるというものでもない。確かに、人間的に言っても、主イエス・キリストについてのこの弟子たちの誠実な証しの言葉が真実であることを信じなければおかしいのは事実である。

       アメリカではよくディベート(討論)するが、聖書についてのディベートがあると、クリスチャンではない人たちが最も激しく攻撃するのは次の二点である。一つはキリストの復活のことで、もう一つはパウロがクリスチャンになった経緯である。その二つのうちのどちらか一つでも完全に否定することができるなら、新約聖書は全部でたらめだと言うことができるということで、その二つのポイントを特に攻撃するわけである。キリストの復活を攻撃するディベートの記録はたくさんあるが、その一例を見ると、ホットなディベートの結果、「歴史的なデータや記録やその他の情報を見ても、このことは確かに否定できない事実と思われる。他の歴史的な出来事と比べても、この方が確かな事実だと認めるしかない。不可能で奇跡的なことではあるけれども、これは確かな事実としてしか考えられない出来事であった。しかし、歴史の中には変なことも起こるものである。もしかしたら、キリストは宇宙人だったのかもしれない」というのがそのディベートの最終結論であった。

       それはふざけたディベートではなかった。真面目で公けな討論であった。結論として「歴史的な事実として否定はできない」ことは認めた。しかし、その事実の意味は何だったのかというと、また別な話になるわけである。「キリストは宇宙人だったのかもしれない」という話でその真剣な議論は終わったのである。私たちはなぜキリストの復活を信じるのだろうか。歴史的に否定できないから信じるのだろうか。弟子たちの証しがどうとかこうとかで信じるのだろうか。断じてそうではない。神御自身の御言葉を信じ、神が与えた約束を信じるので、キリストの復活とその意味を神御自身の御言葉から教えられているので、それを信じるのである。それはアブラハムと同じ信仰である。目で見えるものは何もない。神の御言葉とその約束を信じるのである。その信仰はアブラハムの人生のすべてをとおしてずっと試されたけれども、それと同じように私たちの人生にあっても、信仰は試される。そのことは続く5章で説明されている。

       次に来るパウロの話は、「信仰は試される」という話である。アブラハムと同じ信仰を持つ私たちも、その信仰が試される。アブラハムは私たちにとっても信仰の父なので、アブラハムの信仰の子どもたちもアブラハムと同じような道を信仰によって歩まなければならない。そのアブラハムと同じ道を歩まなければならない私たちにとって、最も大切なことは、信じている相手である神がどのような御方なのかということである。「このような神を信じているので、私は神に信頼する。義なる神、そして愛なる神、私たちを罪から贖ってくださった御方を信じるので、周りがどうなっても、私は続けて神に従う。私は、神の真実を知っているので、神に聞き従う」というのが信仰である。

       いみじくも今朝の聖書交読は詩篇106篇であった。今日の説教のために選んだわけではないが、イスラエルの信仰がアブラハムの信仰とどれほど対比的なものであったかを感じさせられる詩篇である。イスラエルの場合、神の大きな大きな裁きをエジプトの中で何回も何回も見た。最初の三つの裁きはイスラエルもエジプト人といっしょに受けたが、それは神からの懲らしめであった。四番目から最後の奇跡では、神はイスラエルの民とエジプトを区別されたので、ゴシェンの地には何も災いはなかった。エジプト全土に激しい疫病があっても、ゴシェンだけは安全であった。エジプト全土の農業がだめにされても、ゴシェンは守られた。エジプト全土に雹を降らせて人や動物が雹に打たれて死んでも、ゴシェンの地に雹は降らなかった。未曾有ないなごの大群がエジプト全土を覆い、エジプトのすべての農産物や草木が食い尽くされても、ゴシェンにいなごは来なかった。エジプト全土が完全な暗闇になっても、イスラエルが住むゴシェンの地には光があった。神はパロとエジプトのすべての初子を打って殺したが、イスラエルは守られた。

       神はそのようにはっきりと御自分の救いの力と裁きの力をイスラエルに見せ、エジプトがイスラエルを不正に奴隷状態にした代価としてエジプトから金銀を取ってイスラエルに与え、彼らをエジプトから連れ出した。エジプトを出て紅海のところまで来たときに、後からパロの軍勢が追い掛けて来たのをイスラエルは見て恐れた。その時に「神は奇跡を行なうはずだ」と当然に思うべきかどうかは別として、「神は必ず助けてくださる」という信仰がなければならない。「今まで神は繰り返しエジプトを裁いて、私たちを守ってくださった。今まで神は私たちへの約束をずっと守ってくださったのだから、とにかく神を信じます」と考えるはずである。目に見える状態は不可能でしかない時、「きっと神は海を分けてくださって、私たちが乾いた地を歩いて向こう岸に行けるようにしてくださるだろう」というふうに考えることは出来ないし、考えるべきでもない。とにかく神を信じ、神の助けを祈り求めるべきである。

       祈りの中で、「どうしてこのようなことになるのか私にはわかりません。私は恐れで震えています。どうか、早く、助けてください」と感情を込めて祈ってもかまわない。ヨブの祈りはそのような祈りであった。ヨブうは自分がどうなってもかまわないとは言っていない。ヨブは痛みに打ちのめされていた。肉体も苦しいし、心も苦しい。すべてのことが苦しくて堪えきれずにヨブは神に訴えるけれども、大切なのは「神に訴える」という点である。神に信頼しながら、神に依り頼んで、神にすべてを訴えて、神に救いを求めるのである。そういう意味でヨブは正しかった。

       イスラエルの反応はどうだったかというと、「エジプトには墓がないから私たちをここに連れ出したのか。この荒野で死なせるためなのか。エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりもよかったのだ。神は私たちを捨てたのだ。どうしてここで死ななければならないのか」と叫んだのである。それでも神はイスラエルを救ってくださった。そのような大いなる救いを受けたイスラエルは、詩篇106篇12節にあるように、彼らは神を信じた。それは、信じないほうがおかしいのだ。とにかく彼らは信じた。しかし、その大きな奇跡が与えられてから僅かしか経たないのに、もうそのことを忘れてまたも逆らうのである。「水がない。ここで私たちは死ななければならないのか」と叫んで逆らった。

       民数記を読むと、イスラエルはそのように繰り返し不信仰に陥っていたのがわかる。試練が与えられる度に、まず不信仰をもって応答し、神に逆らいはじめるのである。それで試練はもっと厳しいものとなる。結局イスラエルは最後までも試練から学ばないので、その世代は荒野の中で死ななければならなかった。アブラハムはその反対であった。アブラハムの状態はいつも不可能の連続だったが、神を信じて信じて信じ続けた。その死だけを見るならば、アブラハムも荒野の中で死んだのである。彼に与えられた約束は400年後のことであったが、アブラハムはそのことをも信じた。死ぬときにも、その約束の成就は見れなかったが、彼は信じて、更に400年間待つのである。つまり、信仰を持って死んだのである。

       本当に神を信じる信仰は、アブラハムのような復活の力のある神を信じるものである。アブラハムの話を読むとき、私たちは神に信頼を置くことができるように神の主権について学ぶはずである。神の道の奥義について学ぶはずである。そして、絶対に約束を守ってくださる神を信じるのである。恵み深い神であることを信じる。だから、周りの状態がどうあろうと、また自分に置かれた試練がどれほど激しくとも、「私は神を信じる」ということが出発点でなければならない。それが私たちの信仰の本質でなければならない。

       イスラエルのように、まず逆らい、まず不信仰になり、まず文句を言うということではない。神を信じる者は、まず神の御前にひざまずいて、まず信じるのである。復活の力を持つ神だからである。恵み豊かな神だからである。私たちを憐れんでくださる御方であり、絶対に約束を守る神だからである。「この御方といっしょならば、私はどこにでも行きます。どんな試練にも耐えて、最後まで神とともに歩みます」というのがアブラハムの信仰なのである。

       これは、クリスチャンではない人たちが、それほど素晴らしくもない相手に対してさえ表わす信仰なのだ。歴史の中の偉大な軍人のリーダーたちのほとんどはその部下たちに信頼されていた。部下はとにかく彼らを信じる。その人のためには命を捨ててもかまわないと思っている。「行け」と命じられればどこへでも行く。そのような事例の中の最悪な例がヒットラーである。ヒットラーは部下に絶対不可能と思われるようなことを命じる。ドイツ人は従いたくなくても従うものだけども、その命令に従ってしまう。その命令に従った結果、フランスは僅か六週間で陥落したのである。当時では誰一人信じなかったことが起こったのである。フランス軍はドイツ軍よりも多かったのだ。当時のフランス軍は世界一とも言われていた。ヒットラーの軍事的な野望はどれも不可能なものばかりであったのに、次から次へとそれは成功して行った。

       それで、部下たちはどんどん熱狂的にヒットラーを信じるようになっていったのである。「ロシアに行け」と命じられると、すぐにでもロシアを倒すことができると信じて兵士たちは出て行った。幾ら状況が困難になっても、ただ命令を守って闘う。馬鹿げたことを命じられても、どんどん従う。11月前後にろくすっぽ冬の防寒具も無しにモスクワまで攻撃して行ったのである。まるで神に対する信仰のような信仰を持ってドイツ軍は闘った。しかし、信じた相手を間違ったために、その信仰の最後はとんでもない悲劇となった。全知でもなければ全能でもない。恵みもなければ愛も知らない。とんでもないサタン的な相手を熱心に熱心に信じてドイツ人は最後まで従った。その報いはまさに地獄であった。しかし、ある意味で、彼らは“信仰を”持って行動したという点は認めなければならない。

       クリスチャンの場合は、本当の全知全能で無限な力ある神を信じている。私たちは、恵み深い愛なる神を信じている。それなのに、その神から命令を受けると、私たちはまずぶつぶつ言う。すぐに文句を言い出す。少しでも厳しい状況になると、不信仰に陥ってしまう。ヒットラーの軍の方が、その悪魔的な支配者に対してさえ、よっぽど立派な信仰を表わしたと言わねばならないことを感じさせられる。私たちの信仰の弱さ、足りなさ、心の硬さは、それは非常に恥ずかしいものだということを感じないではおれない。このような偉大な神を信じてる私たちは、最後まで耐え忍び、最後まで従って、神の御恵みを喜び、どのような状態に置かれても、感謝のない不信仰な心を持つことなく、神を喜び、神の御名を賛美する心を持ち続けるべきである。

       復活の神を信じるアブラハムの信仰は、「義と認められる」信仰であり「救い」の信仰である。これは死ぬ日までの話なのだ。死ぬ日まで続く信仰なのだ。救われたとき、私たちは4章の最後の25節に記されていることを信じてクリスチャンになったのである。即ち、「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられた」ことを信じてクリスチャンになった。その信仰が出発点である。その後、そのはじめの信仰を横に置いて何か別の次元に入るようなことではない。同じ復活の主イエス・キリストを最後まで信じ、同じ復活の栄光を最後まで求め、死ぬ日までキリストのために生きるのである。それは、アブラハムの人生においても私たちの人生においても同じように要求される信仰である。

       全生涯を見えるもののためにではなく、またこの世の事物を求めるようにではなく、御国のために生きるのである。そして、いかなる試練の中にあっても、神の復活の力について学ぶはずなのである。御国は、ただ神の復活の力によって来るのである。神が霊的に死んでいる者たちを御自身に立ち帰らせたまわないかぎり、世界は救われないからだ。私たちに与えられているビジョンも不可能なものであると言える。弟子たちの時代に戻って考えるならば、それはもっともっと不可能なことであった。11人のキリストの弟子と数百人の信者たちにキリストは「あなたがたは地の果てまで行って、すべての国をわたしの弟子にしなさい」という命令を与えた。バプテスマを授け、御言葉を教え、全世界をキリストを信じる者にしなさいという命令を、その数百人は受けて、「はい。その通りにします」と言って、戦いに出て行ったのである。

       私たちも、自分たちの状態を見れば、「この日本が主イエス・キリストを信じる国になるはずはない」と感じたりするかもしれない。しかし、この日本を、主イエス・キリストを信じキリストを愛し、主イエス・キリストの御言葉を喜んで守る国に変えるための働きが私たちに与えられているのである。純粋な御言葉を伝え、その御言葉を教え、この国が悔い改めて救われるように切に祈り求める。その使命が私たちに与えられている。その約束を信じて、アブラハムのように生きるのである。すぐに何千人、何万人の人が明日までに救われなければ「やっぱりこの国はだめなのだ。私は別の所に行こうか」というような信仰ではなく、神を信じ、神の約束がこの国においても成就されることを求めて、信仰にはっきりと立って神の栄光を求めるのである。

       人間の観点からすれば「それは不可能だ」と思うのは確かである。しかし、不可能だからやめるとか、不可能だから信仰を変えるという話ではない。不可能だからこそ神に信頼し、神の栄光を求めて、神の命令を守るのである。私たちは、「すべての国々が主イエス・キリストのものになる」という約束を、その命令から示されているので、韓国がキリストの国となるのを信じてそのために祈るし、韓国のクリスチャンたちはそのために働くのである。中国を見れば本当に「不可能だ」と思ってしまうものであるが、今日その国での教会の成長が日本よりもずっと速くて激しくて、驚くべきものになっている。その国がにわかに主イエス・キリストを信じる国になるのは不可能のように見えるけれども、そこでどんどん人々が救われて、教会は大変な勢いで成長し続けている。信仰の理解と御言葉の理解において、中国の教会は弱い状態にあるけれども、確かに成長している。神は働いておられる。神は御自分の約束を全うされる。

       東ヨーロッパでどうして共産主義が崩壊したのかについては色々な本が書かれているが、私が読んだ本には次のようなことが書いてあった。ローマン・カトリックの信者が多いけれども、多くの人々が急速にローマン・カトリックの信仰に戻ったり、ギリシャ正教に戻ったり、ロシア政教に戻ったりしている。カルヴァン主義の伝統が強いハンガリーの場合はカルヴァン主義の信仰に戻ったりしている。人々が信仰に戻った結果として共産主義は崩壊してしまったのだとその著者は説明している。確かに神の働きは歴史の中にあって続いている。私たちは、歴史の最後までを見届けることはできないけれども、その約束してくださった神がどのような御方なのかを信じる信仰の目をもって理解するならば、私たちは勇気をもって御国のために戦うことができるはずである。

       このように、アブラハムの時代から今の時代に至るまで、真の神信仰はすべて復活の信仰なのである。すべて真の神信仰は試されることによって神の復活の力を信じる信仰が聖められて、信仰として表わされていくのである。アブラハムと同じような信仰を持つ者は、全世界がアブラハムの子孫になるという相続の約束について説明したように、その約束の成就を信じて、毎日の生活において私たちに与えられたビジョンを真剣に求めて歩まなければならない。そのことをここでも教えられているのではないかと思う。そのことを覚えて、一緒に聖餐式を受けたいと思う。

     

    ――1999年7月4日――


    著 ラルフ・A・スミス師
    編集 塩光明長老
    著者へのコメント:shiomitsu@berith.com
     

    ローマ人への手紙4章13〜16節

    ローマ人への手紙5章1節

    福音総合研究所
    All contents copyright (C) 1997-2002
    Covenant Worldview Institute. All rights reserved.