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    ローマ人への手紙13章11〜14節


    13:11 あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行ないなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。

    13:12 夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。

    13:13 遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。

    13:14 主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。

    2002.05.19. 三鷹福音教会 ラルフ A. スミス牧師 講解説教
    三鷹福音教会の聖日礼拝メッセージおよび週報をもとに編集したものを掲載してあります。


    時を知る

    13章11〜14節

       ローマ人への手紙13章11節から13章の終わりまでのところで、パウロは、「今はどういう時なのか」について話している。この13章の最後の段落は、あたかもそれがキリストの再臨と歴史の終わりを指しているかのように引用されることが多い。しかし、11節の最初のところで、「あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから」という言い方をしているし、「私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているから」と言っている。また、「夜はふけて、昼が近づいた」と12節で言う。パウロは、「これは特別な時だ」ということをローマの教会に話している。そろそろ、夜から朝への大きな変化が起ころうとしていることを教会に伝えようとしている。「救いは近い」と言っている。これはいったいどういう話なのかについて、一緒に考えたいと思う。

       実際に、今のほとんどのアメリカの教会では、この箇所を読むときに、「主イエス・キリストの再臨は近い」という解釈になっている。そして、教会の歴史を見ると、そのような解釈は決して珍しくはなかったのだ。実のところ、再臨の時期に関する憶測は教会史の様々な時期に横行した。紀元999年の最後の日、ヨーロッパの多くの人たちは自分の財産を売却して貧しい人たちに与えたりした。紀元1000年、即ち新しい千年期の幕開けにキリストが再臨すると思ったからである。人々は財産を売り払い、教会に集まって主イエス・キリストの再臨を待った。その後、百年後にもまた同じようなことがあった。1240年頃にもまた同じようなことがあった。宗教改革の時代にもそれに似た期待が人々の中にあった。

       マルティン・ルターは、「自分が生きているこの教会改革の時代に主イエス・キリストの再臨は近い」と思っていたし、「1533年にキリストは再臨する」と教えた人もいた。十九世紀にも、「キリストの再臨は近い」と教える人たちが多く教会に現われた。二十世紀も、「ムッソリーニは反キリストだ」とか「ヒットラーは反キリストだ」と言って、「キリストの再臨は1981年になる」と教会でも教えたりしていた。クリスチャンになったばかりの時、私もそのように教えられたのを覚えている。「もう再臨は近い」ということをよく聞かされた。「もう死ぬことはない。私たちが生きている間にキリストは再臨するだろう」と実際に教えられた。

       1985〜1986年頃の全米ベストセラーの一つは、「1988年にキリストの再臨が来る」と宣言する本であった。その本は1989年には人気が落ちてしまったが、同じ著者が大胆にもまた「1989年に再臨する」という本を出版したが、その後はもう本を出版していない。ハル・リンゼイも60年代の時から70年代にかけて「キリストの再臨は近い」とずっと訴えていた。特に二十世紀のアメリカでは、「キリストの再臨は近い」という話が持ち切りであった。私が神学校で学んでいたとき、有名な神学者であるハーマン・ホイト博士 (Dr. Herman Hoyt) が来て、チャペルでの説教でローマ人への手紙13章のこの箇所から「主イエス・キリストの再臨は近い。それは、パウロと当時の人々が最初に信じた時よりも約二千年も近づいた。だから、キリストの再臨が差し迫っていることを覚えて生活しなければならない」と力説してくれたのを覚えている。

       ホイト博士は再臨の日時を憶測することはなかったが、「自分たちは終わりの日に生きているという可能性が高い」と深く信じていたのは確かだと思う。しかし、この箇所でパウロが「救いは近い」と言っていることが本当に主イエス・キリストの再臨を指しているのであれば、当時のローマの教会にとってはあまり関係のない話をしていることになるのだ。二千年経っても再臨は来ないし、そういう意味での大きな変化は何も起きていないのである。パウロはローマの教会に、「救いが近いので、このようにしなさい」と教えていることに注目すべきである。その時点で、「キリストの再臨が近いから、こうしなさい」という話であったらおかしいということは、少し考えてみればすぐにわかることだと思う。

       そのために、ある人たちは、「ここでパウロは自分の死ぬ日が近いと言っているのかも知れない」と言う。死んだときに、この世から開放されて天に昇ってキリストのところに行くが、「その私の死ぬ時が近づいているから、こうしなさい」とローマの教会に話しているのだと考えたわけである。しかし、もしそうであれば、当時のローマ教会には大人もいれば幼子も青年もいたし、いろいろな年齢の人たちがいたので、例えば5〜6歳の子どもに対して「夜はふけて、昼が近づいた」と言っているとすれば、何を言っているのかという問題にもなる。その解釈にはかなりの無理がある。

       パウロはここでキリストの再臨の話をしているのではないし、自分の死が近づいたからというような話をしていないのである。ローマ人への手紙13章および新約聖書全体の中での時間的な言及のある箇所に対するそのようなアプローチは誤りである。「時が近づいている」と語るとき、パウロはキリストの再臨について語ってはいないし、ローマ人に世界の歴史の終わりが迫っていることを告げているのでもない。パウロは全く別の事柄について延べていたのである。

     

    イエスと終わりの時

       パウロがここでどんなことを話しているのかを考えるために、今年のキャンプで主イエス・キリストについて学んだことを思い出していただきたい。十九世紀のはじめにドイツに、ベルリン大学の創始者の一人で、最も有名な初期のリベラル派神学者であるフリードリッヒ・ダーヴィッド・シュライアマハー (Friedrich David Schleiermacher) という神学者がいた。彼は、「主イエス・キリストは誰か」についての本を出版し、「主イエス・キリストは本質的に当時のドイツ人の大学の教授のような者であった」というキリスト観を発表した。そのキリスト観は、驚くほどシュライアマハー自身に酷似していた。1世紀のイエス・キリストを十九世紀の大学教授に変貌させるために、彼は福音書に手を加えなければならなかった。

       「実際には奇跡は行なわなかったし、再臨もない。聖書の中でイエス・キリストが語ったとされる厳しい言葉についても、キリストが実際に語ったものではない。それらの教えは、後の時代の教会によって付け加えられたものだ」と、シュライアマハーは教えていた。イエスの奇跡は消され、福音書の多くの記述は後になって書き加えられたものだと言うのである。彼は、福音書の中のキリストの言葉を、実際にキリストが話した言葉とキリストが話したのではないと思われる言葉とに分けた。キリストが実際に話したのは「隣人を愛しなさい」とか「神を愛しなさい」いうような箇所だけで、神の審きについて、キリストの再臨について、或いは神の旧約聖書のいろいろな律法の教えについても、「実際にキリスト本人によって教えられたものではない。書き加えられたものだ」と、シュライアマハーは教えていた。

       そして、それから約100年を経た二十世紀の前半に、ノーベル平和賞を受賞した有名なアルベルト・シュヴァイツァー (Albert Schweitzer) というドイツの学者が現われた。彼は哲学者、天才的なパイプオルガン奏者、哲学者、そして神学者でもあり、医師でもあった。以前にも話したと思うが、シュヴァイツァーは以下のような異議を唱えた。「後の時代の教会が、明らかに間違っている言葉をあたかもイエス本人が語ったかのように伝えたということはまず有り得ないことである。預言として福音書に書かれたイエスの言葉は本当にイエスが語ったものに違いない。イエスはただ間違えただけなのだ。イエスは常にユダヤ人的なタイプの人物、つまり、やや狂信的であるが、自己の信ずるところに身を捧げた人物であった。しかし、最後まで忠実であったこと、そして他者を愛するという模範は、確かに私たちも学ぶべきものである」と彼は言うのである。

       「自分はそろそろ再臨するとキリストが言ったとすれば、それは明らかに間違いである。それ故、その間違いを教会が後になって書き加えたということはとても考えられない。再臨についてキリストが語ったことこそ、実際にキリスト自身が語ったことなのだ」と言うわけである。つまり、「キリストは十九世紀の大学の教授のような者ではなく、熱狂的宗教心の深いユダヤ人であり、自分こそメサイアだと誤解して思い込んでしまったために間違ったことを教えた人物なのだ」と、シュヴァイツァーは言う。

       同時に彼は、「キリストの教えの中には良いものが沢山あって、信念を最後まで貫き、それに忠実に生き、人類に愛と勇気の模範を示した偉大な人物である」と教えていた。そのような影響もあって、二十世紀のリベラルの人たちの中には、「神の審判は近い。終わりは近い。救いの日は近い」というような新約聖書の箇所を見るとき、「昔の教会が語っていたことには間違いが沢山あった。変な宗教だったのだ」と考える人が沢山現われた。

       もっと最近になって、N・T・ライト (N. T. Wright) をはじめとする幾人かが、「教会を構成していた人々のほとんどが紀元七十年以降には異邦人になっていた」と指摘している。紀元七十年に、ローマ帝国の軍がエルサレムの町を攻略し、文字通りエルサレムの町を破壊し、完成したばかりの神殿を再び建てあげることが不可能なまでに完全に破壊してしまったことは、歴史の事実として知られている。ローマ軍は紀元七十年にイスラエル全体を総攻撃して破壊した。その紀元七十年にローマがイスラエルを裁いた後のキリスト教はほとんどがユダヤ人の教会ではなくなって異邦人の教会になっていた。

       パウロの時代、即ち新約聖書の時代は、まだユダヤ人が多かった。パウロはどの町に行っても、まずその町のユダヤ人の所に行って福音を伝えた。福音が語られると、ユダヤ人の中で福音を信じる者たちと受け入れない者たちが二つに分裂した。それでパウロは、主イエス・キリストを救い主として信じたユダヤ人たちと共に、他のユダヤ人から離れて町から町へと教会を作っていった。ローマ人への手紙1章16節でパウロは、自分には福音を伝えなければならない義務があると言っているところで、「ユダヤ人をはじめ・・・」という言い方をしている。まずユダヤ人に福音を伝えなければならないとパウロは言っているが、それをパウロは実行し、ユダヤ人に福音を伝えてから後に異邦人に伝えたのである。

       しかし、紀元七十年の裁きの後の教会のほとんどが異邦人になっていて、教会の中心はアンテオケになったり、ギリシャになったり、ローマになったり、北アフリカになったりして、もはやエルサレムではなかったのだ。原語もヘブル語ではなくなり、ギリシャ語が中心となった。そうすると、基本的な思想や考え方も違ってくるのである。一世紀から二世紀に書かれた教父たちの書物を見ると、旧約聖書のユダヤ人の世界観がわかっていないということがよくわかる。つまり、紀元七十年以降の異邦人が今私たちが持っている福音書を書くことは不可能だということは明らかなのである。2世紀の多くのクリスチャンは福音書やパウロが書いたことの意味を理解できていなかった。福音書に書いてあることの意味もわかっていないし、そのような思想的な土台も持ってはいなかったからである。主イエス・キリストの譬え話などについても、初期の教父たちにはその意味がほとんどわかってはいなかったのだから、それを書くことなど有り得ないことなのだ。その記述が非常にユダヤ的だからである。

       新約聖書時代の世界観は異邦人の考え方から遠く隔たっていた。イエスと弟子たちが語ったことはすべて、旧約聖書を踏まえて理解されなければならないのである。このことは教会史全体に及ぶ問題である。それ故、福音書のすべては、紀元七十年のエルサレム陥落以前にユダヤ人の教会であった期間にでなければ書くことは不可能なものなのである。また私たちは、聖書自身が書き加えることを完全に禁じていることも忘れてはならない(黙示録22章18節)。それだから、福音書を読むとき、またパウロの書簡などを読むとき、旧約聖書のユダヤ人の世界観の中にあってその言葉がどのような意味だったかを考えて読まなければならない。これは実に大切な原則である。

       しかしそれは、ヨーロッパの異邦人の教会ではほとんどやっていないことなのだ。ほとんどの教会で旧約聖書は比較的軽く見られていたし、新約聖書を読んでも旧約聖書から一貫して語られている意味を理解の土台に据えることはできていなかった。それで、パウロがここで「救いは近い」と言っているのを読むと、すぐに「再臨のことだ」と考えてしまうのだ。しかし、ユダヤ人の思想はそのようなものではなかった。旧約聖書の教えはそのようなものではないのである。

     

    “主は来られる”

       今朝交読した詩篇96篇にもあったが、13節に、「確かに、主は来られる。確かに、地をさばくために来られる。主は、義をもって世界をさばき、その真実をもって国々をさばかれる」とある。これを書いた詩篇の著者は、主イエス・キリストの再臨とか歴史の終わりについて話しているのだろうか。決してそうではないのである。神はバベルの塔に降りて来られ(創世記11章5節)、エジプトに来られ(出エジプト12章23節)、シナイ山に降りて来られた(出エジプト19章9節と11節)と記されているが、旧約聖書の中には、神が来られることが歴史の終わりと等しいこととして記されている箇所は全然ないのだ。従って、神の来臨は明らかに厳密な意味での終末論的出来事ではなく、むしろ契約的な出来事なのである。つまり、神は契約的さばき或いは契約的祝福として来られるのである。ダビデは、神が自分をサウルや敵から救ってくださることについて語るとき、あたかも神が天から下って来られたかのような表現を使っている。詩篇18篇6〜10節を見てほしい。

    私は苦しみの中に主を呼び求め、助けを求めてわが神に叫んだ。主はその宮で私の声を聞かれ、御前に助けを求めた私の叫びは、御耳に届いた。すると、地はゆるぎ、動いた。また、山々の基も震え、揺れた。主がお怒りになったのだ。煙は鼻から立ち上り、その口から出る火はむさぼり食い、炭火は主から燃え上がった。主は、天を押し曲げて降りて来られた。暗やみをその足の下にして。主は、ケルブに乗って飛び、風の翼に乗って飛びかけられた。

       この箇所を普通の現代的な考えをもって読むならば、「主は、天を押し曲げて降りて来られた」と言うと、これも「再臨」とか「歴史の終わり」というようなイメージで考えてしまいやすい。ところが、この詩篇18篇の最初に、「主が、彼のすべての敵の手、特にサウルの手から彼を救い出された日に、この歌のことばを主に歌った」とある。神によって守られたダビデの人生の中で、主が実際に天から降りてこられたような事実はあっただろうか。そのような事はなかったし、ダビデもそのような意味で書いたのではないのは明らかである。神の摂理において神の導きとして見ることができる神のさばきを、ダビデはこのような表現で言い表わしているのである。なぜなら、それは「契約のさばき」だからである。

       神は人間を創造したが、アダムとエバとその子孫は神に逆らい、ノアの時代に神は大洪水をもたらして全世界をさばいた。旧約聖書に規範として記されている神の大いなる来臨とは、ノアを通して再出発をもたらした大洪水の時と出エジプトの時である。その契約のさばきは、旧約聖書の中では神がご自分の御怒りを表わす基本的なさばきとして記されている。ノアの洪水以来、神のさばきについて語るときにはいつもノアの洪水を指して「それはノアの洪水のようである」という象徴的な言い方が使われている。

       そして、神がイスラエルをエジプトの地から救い出した時にも、同じように神は大いなる奇跡によってご自分の民を救ってくださった。またダビデの時代にも、ノアの時代に全世界をさばくことによって与えた救いと、神がエジプトをさばいてその民を救い出したその救いを指して、象徴的な言い方をしている。神が契約的なさばきを行なってご自分の契約の御怒りを表わされたという意味で、詩篇18篇6〜10節にあるような言い方をしているのである。例えば、詩篇96篇にある「主は来られる」という言い方は、神の契約のさばきの話なのである。

       イザヤ書19章1節の箇所も覚えてほしい。「エジプトに対する宣告。見よ。主は速い雲に乗ってエジプトに来る」とイザヤは宣言している。明らかにイザヤは歴史の終わりについて語ってはいない。では、神は、どういう意味で「速い雲に乗ってエジプトに来た」のかというと、人間の軍隊によるエジプトの政治的転覆を語っているのである。それは、神がノアの洪水と同じ契約のさばきをエジプトの上に下したということなのである。イザヤ書19章1節の預言はどのように成就したかというと、ネブカデネザルがバビロンの軍を率いてエジプトに攻め上ってエジプトをさばくことによって成就されたのだ。神が歴史の中にあって行なうさばきは、ノアの大洪水や出エジプトの時と同じ神学的な意味があるのだ。すべてをご支配しておられる契約の神がさばきを行ないたもうのである。

       実際に何が起こるかはその時によって様々である。紀元前600年頃のエレミヤとエゼキエルの時代、預言者たちがイスラエルのさばきについて預言したとき、「神は御手をもってさばきたもう」と言って出エジプトの事を指したり、エレミヤが「主はすべてを無にする」と言っているのも神のさばきを指していた。それは「ゼロに戻す」という意味であるが、そこにはノアの大洪水が創造をゼロに戻して再出発したことが示唆されている。エレミヤはノアの洪水を指したり、エジプトに対するさばきを指したりしていた。エレミヤやエゼキエルは、「再び神がエルサレムをさばくとき、それはノアの洪水や出エジプトのときと同じような契約のさばきになる」と宣告していたのである。

       史実はどうだったかというと、紀元前605年と597年と587年の三度にわたってネブカデネザル王が大軍を率いてイスラエルに攻め上り、最後の紀元前587年のときに、エルサレムを完全に破壊し、神殿をも破壊してしまったのである。それからの七十年間、ダニエルの死の間近まで、エルサレムで礼拝が行なわれることはなかった。ユダヤ人にとって、エルサレムの神殿での礼拝が行われないということは、「イスラエルは神の民ではない」という意味になる。いけにえ制度を守る礼拝が行われないなら契約を新たにすることはできない。それは「契約の民として捨てられた」という意味のさばきになるのである。

       それだから、バビロン帝国によって滅ぼされて捕囚となったさばきのことは、旧約聖書の至るところで何度も説明されており、それはイスラエルの歴史においては出エジプトと同等に重大な出来事であったことがわかる。エゼキエルはその時、神の御霊が神殿から離れてバビロンに行ってしまうというまぼろしを見た。その意味も、「神がエルサレムと神殿を捨て、イスラエルを捨ててしまわれる」ということであった。そうして、神の御霊は敵であったバビロンの民の所にいると言うのである。しかしエレミヤは、バビロンに捕囚として捕らわれて行ったイスラエルの人たちを励まして、「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる」と預言している(エレミヤ書29章10節)。

       実際にその七十年後に、エレミヤの預言は成就され、ペルシャの王ダリヨスがイスラエルをバビロンから救い出してエルサレムに帰還させて神殿を再建させるのである。そして、エルサレムと神殿を再建したイスラエルは、もう一度神殿での礼拝を始めた。その旧約聖書の歴史と旧約聖書の言い方の意味がわかるなら、パウロがここで話していることもよくわかる筈なのである。「神が来られる」という言い方をするのは、それが契約のさばきを指す言葉遣いだからである。

     

    終わりの日

       「あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから」と言って、「時が近づいている」とパウロは言っている。ヘブル人への手紙1章1節で「神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られました」と言い、同2節では「この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました」という言い方をしている。パウロはここで「自分の時代は終わりの時だ」と話しているのである。ペテロも、使徒行伝2章でユダヤ人に御霊の賜物について説明するところで、「これは、預言者ヨエルによって語られた事です」と16〜17節で言っている。ヤコブ書の中にもペテロの手紙の中にも、ヨハネの手紙の中でも、新約聖書の中で何度も「今は終わりの時代だ」ということを教えている。パウロや新約聖書記者たちは、自分たちが終わりの日に生きていることを知っていたのである。ヨハネの第一の手紙2章18節を見よう。

    小さい者たちよ。今は終わりの時です。あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現われています。それによって、今が終わりの時であることがわかります。

       ここでヨハネは非常にはっきりと、自分が生きているその時代が「終わりの時」だと言っているのである。誤解し得ないほどに明確にヨハネは語っている。ヨハネもパウロも、「終わりの時」を何千年もの未来のこととして預言したわけではなかった。「反キリストは既に現われている。それによって、今が終わりの時であることがわかる」とヨハネは明言している。そのことは、新約聖書の多くの箇所で、主イエス・キリストご自身が教えており、パウロも教えており、ヨハネたちの教えの中にも出てくることである。そうであれば、私たちはいかにしてこの「終わりの時」が1世紀の出来事を指しているということを疑うことができようか。

       しかし、それでも私たちは「終わりの時」という言葉を読むとき、「この表現は何を意味するのだろうか」と考えてしまう。この疑問に対してパウロはローマ人への手紙13章ではっきりと答えている。「終わりの時」とは旧約聖書の終わりの日のことなのである。ヨハネが「今の時代は終わりの時代で、反キリストは既に現われている」と言っているのも、「今が旧約聖書の時代の終わりの時である」と言っているのである。

       12節の「夜はふけて、昼が近づきました」とはどういう話なのかというと、これはユダヤ人のカレンダーを思い出して考えなければならないものである。創世記の初めに、神が万物を創造されたとき、「夕があって、朝があった。第一日」とあり、一日は夕方から始まっている。夜から一日が始まって、だんだんと朝になっていくのである。それが歴史全体の見方でもあった。最初の時代、古い時代、旧約聖書の時代は、「暗闇の時代」なのである。イザヤ書では、メサイアが来ることを「太陽が昇って、あなたがたの光となる」というように説明している。マラキ書4章2節ではメサイアを「太陽」と呼んでいる。太陽が昼をもたらすのである。だから、パウロがここで「暗闇が終わって、朝になろうとしている」と言うのは、その時代の話をしているのである。

       聖書的な契約の考え方に立ってその事を説明しているのである。それは「古い契約」「暗闇の時代の契約」である。「すべてはおぼろで明らかではない、言わば影の時代の契約時代が終わろうとしている」と言っているのである。パウロの時代に「暗闇の時代」は終わりを告げようとしていた。つまり、神殿制度などが完全に終わって、新しいキリストの時代が来ようとしているのだ。神殿制度、イスラエルの地、特別な祭司の家系、多くの律法の定めは、キリストとその来たるべき時代を指す“予型”であった。

       しかし、なぜ紀元七十年まで待たねばならなかったのか。なぜ、キリストが死んで、よみがえって、天に昇った時点で始まらなかったのか。勿論ある意味でそこから新しい時代が始まったと言うことも出来るけれども、当時はまだエルサレムの中に神殿があったので、厳密にはまだ「古い時代は終わった」とは言えないのである。主イエス・キリストが死ぬ前にユダヤ人に話していたのは「今から四十年以内にこの神殿はさばかれる」ということであった。キリストが昇天してからの最後の四十年間は、言わばもう一度神の民イスラエルに悔い改めてキリストを信じる機会が与えられた期間であったと言ってよい。

       それ故、主イエスの死から紀元七十年までの約四十年間、弟子たちは特にイスラエルに福音を伝えていた。そして、パウロも使徒たちもみな続けて神殿に行って礼拝を守っていた。神殿の大祭司の言葉に対してもパウロは敬意を表わし、それに従っていたのである。旧約聖書の神殿制度がまだ残って機能していた。それはまさしく主なる神の神殿制度であった。神殿制度は古い世界と古い契約のまさに中心であったため、紀元七十年のエルサレム崩壊は新しい時代の到来には不可欠であった。そういう意味で、キリストが死んだ時から神が神殿をさばいて破壊する紀元七十年の時まで、「神の民とは誰なのか」ということが曖昧になっていた。

       別な言い方をすれば、その四十年間は、「神の民はまだエジプトの中で奴隷となっていて、解放されていない」かのような状態にあった。神殿が立っている間は、教会は言わばイスラエルの民の中で捕囚になっているような状態にあった。キリストの教会とイスラエルの関係は明確ではなかったのだ。使徒行伝を読めばわかるが、一番教会を迫害していたのはイスラエルであり、神殿のリーダーたちであり、祭司たちとパリサイ人たち、そして律法学者たちであった。迫害されている教会は、その暗闇の中で、解放の時を待っており、救いの日を待ち望んでいるのである。厳しく虐げられている教会は、神に救いを求めて叫んでいた。

       使徒行伝を見ると、救われる前のパウロ(サウロ)もクリスチャンたちを迫害し、彼らを殺すのに賛成していたことが記されている。パウロがクリスチャンになると、ユダヤ人らはパウロをも殺そうとした。紀元七十年以前の教会はそのような時代の中にあった。ローマ人への手紙16章20節では、パウロはローマの教会に次のような約束をしている。

    平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。

       これはどういう話なのかというと、「キリストを信じる者が福音の勝利をもたらす新しい時代が来る」ということであり、神殿がさばかれて、旧約聖書の神殿制度が完全に終わらせられて、旧約聖書の暗闇の時代が100%終わるということである。それはバビロンに対するさばきと同じようなさばきになるが、バビロンの時のさばきよりも大きなさばきとなる。旧約時代全体が終わりを告げるのである。二度と神殿を建て直すことができないように破壊されるのだ。神殿が破壊されるということは、イスラエルがもはや旧約の定めによって神を礼拝することができなくなったという意味である。

       そのイスラエルに対する神の大いなるさばきは紀元七十年に行われた。その時から既に約二千年が過ぎたが、二度とイスラエルが神殿でいけにえをささげることはなかった。約二千年もの間、ユダヤ人は神との契約を新たにする儀式を神殿で行なうことはなかった。今のエルサレムでは、神殿があったその場所にイスラム教徒がモスク(寺院)を建てたために、ユダヤ人たちはその場所を使うこともできないでいる。そのこともイスラエルとアラブ諸国の摩擦の原因の一つとなっている。いわゆる正統派のユダヤ人は、そのモスクを撤去して神殿を再建しなければならないという思いを抱いている。二千年もの間、彼らにとっての本当の礼拝ができていないのである。しかし、古いイスラエルは聖書の預言にあるとおりに紀元七十年に神によってさばかれ、神殿も神によって破壊されたのである。

       そして、教会が神の新しい民となり、神はご自分の教会をイスラエルから救い出されたのである。それはちょうど昔に神の民イスラエルがエジプトから救い出されたように、神はご自分の教会を神に逆らうイスラエルから救い出してくださったのである。しかし、エルサレムと神殿の崩壊は、単にイスラエルの古い礼拝が廃止されたというだけでなく、それ以上のことを意味していた。神殿の破壊は主イエスが本当に神の右に座しておられることを示すしるしなのである。「昼が近い」ということは、主イエス・キリストご自身が預言したように、エルサレムの神殿が破壊されることによってご自分がメサイアであることが明らかにされ、新しい時代が来るということなのだ。主イエス・キリストは、神殿の破壊をご自分がメサイアであることの最終的な証拠として預言されたのである。

       イスラエルが裁かれて神殿が破壊されることによって主イエス・キリストこそメサイアであることがはっきりと宣言されるのである。「その時はもう近いので、その時が来るのを待つように」と、パウロは当時の教会に話しているのである。私たちも当時の人たちになったつもりで考えてみれば、パウロが言っている意味がわかると思う。「主イエス・キリストはメサイアです」ということを異様人やユダヤ人に話したりするときに、異邦人たちは「そのイエスは十字架で処刑されたではないか」と言い、ユダヤ人たちは「メサイアなら、ローマ人に殺される筈はなかったのではないか」と言う。

       当時のクリスチャンはどう答えるだろうか。パウロに倣って「主イエス・キリストはご自分がメサイアであることの証明としてこう預言しました。即ち、40年以内に、神はエルサレムとその神殿を完全に破壊します。それこそ主イエス・キリストがメサイアであることの最終的な証明です」と答えるであろう。キリストが多くの奇跡で人々を癒したり、助けたり、権威をもって彼らの解釈とは異なる教えを与えたりしたのもそうだが、最終的な証明はエルサレムに対するさばきなのだ。そのことを昔の教会は熱心に待ち望み、そして宣べ伝えていた。初代教会はその時を当然のこととして待ち望んでいたのだ。

       「その時は近い」とパウロが言うとき、当時の教会は励まされたのである。キリストの教会が真の花嫁であることが公けに表わされる時を彼らは楽しみにしていたからである。迫害と苦しめられている中で、主イエス・キリストがさばきを行なって、ご自分こそメサイアであることを全世界に示してくださるその時がすぐに来ることを喜んでいた。その時が来たら、主イエス・キリストを信じる教会こそ本当のメサイアの花嫁であることが証明されるのである。

       そして、教会はユダヤ教からも救われるのである。それというのも、当時の教会はユダヤ教の中にあったからである。使徒たちはみな大祭司の権威を認めなければならない。そういう意味では、教会はユダヤ教の下に置かれていたような時代であった。そこから解放されて、新しい時代が始まる。その「光の時」が来ることをパウロは宣言しているのである。

     

    キリストを着る

       古い契約の時代は「肉の契約の時代」であった。13節にあるように、その古い契約の時代の異邦人の生活は「遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみ」に満ちていた。場合によってそれらは異教の宗教行事においても行なわれていた。「肉の時代」「暗闇の時代」「やみの時代」「古い契約の時代」では、ほとんどの人類はまことの神を知らなかった。そして、実に闇の中を歩むものであった。「その古い時代が終わって、光の時代が来る」とパウロが言っているのは、その古い契約の時代が終わって、メサイアの福音が全世界に広められていって神の御国が成長していくことの宣言である。だから、「やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか」と、パウロはローマの教会に話している。

       教会が新しい時代、メサイアの時代に突入していくなら、教会はその時代にふさわしく振る舞うべきである。それがパウロの言わんとするところなのだ。ローマの教会のほとんどは異邦人であり、文字通り暗闇から救い出された人たちが多かった。「やみのわざを打ち捨てて、光の武具を身に着けて進もう」ということは、「キリストに従う者として御国のために戦っていこうではないか」ということである。その戦いとは、御言葉の忠実なしもべとして福音を伝えていくというものである。その戦いのことについて、パウロはエペソ人への手紙6章のところで深く長く説明している。「御言葉をもって神の御国の成長のために働きなさい。戦いなさい」とパウロは勧めている。その霊的な戦いの武具とは、他の箇所でパウロが説明しているとおりであり、それは御言葉、正しさ、信仰、そして祈りである。

       13節でパウロは「異邦人の生活をやめなさい」と教えている。「遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみ」などは、実に悲惨な異邦人の状態であるけれども、今も言ったように、異邦人の宗教の中にもこれらのことは含まれている。昔のほとんどの宗教はいわゆる豊饒(ほうじょう)宗教であって、豊作などを求めていろいろな儀式を行なうものであった。それらの宗教儀式の実体は遊興、酩酊、淫乱、好色であった。それらの儀式を行なったりすることによって人々は、自分たちの畑が祝福されて作物が豊かに取れるとか、ビジネスが祝福されるとか、大漁になるとか、子宝に恵まれるとか、戦いに勝つなどを祈願していた。

       ヒンドゥー教も基本的に豊饒宗教である。インドのヒンドゥー教の学者が書いた本の説明によれば、ヒンドゥー教の象徴のほとんどがそこに戻るものなのだと言う。それらの象徴には神秘的な秘密があって、豊作のための生命の秘密と力があると考えられている。それらが宗教の中に含まれるなら、即ち、それらが偶像礼拝の中に象徴としてあるならば、人々の日常の生活全体がそれによって染められていくこともよくわかると思う。「異邦人の生活はそのようなものであった」と、パウロは言う。当然ながら「争い、ねたみ」も異邦人の生活の中に満ちているが、ある意味で最初の四つは偶像礼拝につながる不道徳だと言えよう。争いも確かにそのようなものである。

       争いはいつから始まったのかというと、アダムとエバから生まれた最初の息子たちのところから始まったことであった。カインは弟アベルを憎んで殺した。アダムとエバも罪を犯した後は喧嘩もするし、ねたむ心や争う心、人を憎む心を持つようになった。それらは暗闇の時代の心であって、そのような心を捨てるようにパウロは教えている。それらは暗闇の時代のものであり、肉の時代のものである。異邦人の歩みと生活は実にそのようなものである。そこで「昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか」とパウロは勧める。つまり、「新しい時代に相応しい生き方、神の光の子どもとして相応しい生き方をしなさい」と言っているのである。

       それを一言で説明するなら、「主イエス・キリストを着なさい」ということなのである。「主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません」と、14節でパウロは命じている。「主イエス・キリストを着る」とは、主イエス・キリストに似る者となるために自分は救われたということを覚えて、主イエス・キリストに似た者として生きるということである。「キリストを着る」とは、「キリストが歩まれたように歩む」ということなのだ。

       それはパウロの時代の人々に劣ることなく私たちにも当てはまる原則である。私たちもまたメサイアの時代を生きているからである。メサイアは王である。主イエス・キリストをメサイアと呼ぶならば、古い契約や肉という闇の時代に属する生き方を捨てて、昼間に属する者として生きるべきなのだ。ヨハネの第一の手紙の2章でヨハネは、はっきりと次のように言っている(3〜6節)。

    もし、私たちが神の命令を守るなら、それによって、私たちは神を知っていることがわかります。神を知っていると言いながら、その命令を守らない者は、偽り者であり、真理はその人のうちにありません。しかし、みことばを守っている者なら、その人のうちには、確かに神の愛が全うされているのです。それによって、私たちが神のうちにいることがわかります。神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。

       「神を知っていると言うなら、キリストが歩まれたように歩みなさい。そうしないなら、偽り者である」とヨハネは言う。「肉の欲のために心を用いてはいけません」とパウロは言っているが、それは心の話なのである。パウロは私たちの生活全般の志向、特に心の姿勢について話しているのだ。「肉の欲のために心を用いるな」ということは、心の中で自分の肉的な思いを満足させるために頭を使うなということである。何を考えるか、何を瞑想し、何のために頭を使うのかというと、主イエス・キリストに似た者として生活することを常に求めて、頭を使い、心を用いるのである。

       「これが欲しい」とか「あれが欲しい」と思うとき、私たちはいろいろ考えたり、計画したり、場合によってはお金を蓄えたりして、自分の欲しい物を手に入れるためにはあらゆることをするものである。それが罪だと言っているわけではない。誰もがそうするのである。しかし「心を用いる」と言うとき、パウロは、どうやったら主イエス・キリストに似た者になれるのか、どうやって神の御国のために実を結ぶことができるのか、そのことを真剣に心を使って考えているのかどうかを、私たちに問いかけているのだ。神を利用するだけのような生き方をしていないだろうか。神がどのようにして御国を建て上げるために私を用いてくださるのかを、本当に心を使って考えているだろうか。「そのことをよく考えなさい」と、パウロは言うのである。

       「肉の思い」が直ちに罪を犯すための思いを指すとは限らない。悪いことを考えているとは限らない。「肉の思い」とは、最終的に自分を神にしてしまう思いであり、自分自身を満足させる思いのことである。「そのために心を使うな」と、パウロは言う。心において熱心に神の御国を求めるように勧めているのである。だから、「主イエス・キリストを着る」とは、「キリストのような思いを持つ」ということである。

       主イエスの思いは、「これが欲しい。あれが欲しい」とか「こうしてくれなければいやだ」とか「弟子たちが言うこと聞いてくれなければもうやめる」というような思いだろうか。断じてそうではない。主イエス・キリストの思いは、すべての事においてただただ御父の御心だけを求めて、それを完全に成し遂げて、その責任を果たすことを喜ぶものであった。それが私たちの模範である。

       「主イエス・キリストと同じような思いをもって生活するように」と、パウロは命じている。なぜなら、新しい時代はメサイアの時代であり、それはメサイア中心の時代だからである。歴史全体もキリストを中心に動いている。だから歴史のカレンダーは「1900年」とか「2002年」というふうに表わして認識されるのである。主イエス・キリストがこの世に来られたことが歴史全体の中心なのである。私たちの生活においても、「メサイアが来られた」ということが中心であるはずだし、自分の心においても主イエス・キリストが中心であるはずなのだ。

       メサイアがこの世に来てくださって、十字架の上で私たちの罪の身代わりとなって死んでくださって、よみがえって、永遠の救いを与えてくださった。その事は私たちの心においても中心であるはずなのだ。「主イエス・キリストを着る」とは、キリストを中心にして生きること、そして私たちの主ご自身がそうであったように、神にすべてを捧げて生きることなのである。そのような心をもって生活しているかどうか、私たちは自分の思いについて吟味すべきである。

       先日アメリカのある知人が「もう教会に行きたくない」と言ってきた。E-mailで彼は、「教会の人たちはみな偽善者だ」と言っていた。確かに、教会に行くか行かないかという問題もあるけれども、私は「あなたが教会に行くということは、いったいどういう意味なのか」という事について彼と話し合った。そして、ゼカリヤ書7章3節からの箇所を彼に贈った。

       それはバビロン帝国がイスラエルに攻め上ってイスラエルを破壊したことのためにささげる特別な断食についての話である。つまり、神がバビロンを用いてイスラエルをさばいたことを覚えて、イスラエルは断食と涙をもって神に祈っていた。そのさばきから解放され、エルサレムに戻り、神殿の再建も果たした今、まだその断食の儀式を続けなければいけないのかどうかを神に尋ねたのであるが、神は次のように答えている。その箇所を一緒に読みたい。

    万軍の主の宮に仕える祭司たちと、預言者たちに尋ねさせた。「私が長年やってきたように、第五の月にも、断食をして泣かなければならないでしょうか。」すると、私に次のような万軍の主のことばがあった。「この国のすべての民と祭司たちに向かってこう言え。この七十年の間、あなたがたが、第五の月と第七の月に断食して嘆いたとき、このわたしのために断食したのか。あなたがたが食べたり飲んだりするとき、食べるのも飲むのも、自分たちのためではなかったか。

       教会に行かなければいけないのか。なぜ教会に行くのか。誰のために教会に行くのか。行くにしても、ただ自分のために行くのでしかないなら、行くことに本当の意味はないのである。私たちにとって、生きる意味はどこにあるのか。永遠の意味、超越的な意味は、いったいどこにあるのか。それは神ご自身にあり、神の御国にあるのだ。そこに真の意味があるのだ。私たちはすべての「肉の思い」を捨てて、主イエス・キリストを着て毎日の生活を送るべきである。そのために、私たちは神に招かれているのである。神の御前に出て、神ご自身に礼拝をささげるようにと、神が招いてくださっておられる。

       礼拝をささげる意味はどこにあるのかというと、心から神に感謝の祈りをささげて、心から神の御名を賛美し、心からその栄光を喜び、そして、肉の思いをすべて捨てて、「私は私のメサイアであられる主イエス・キリストを着ている者であり、メサイアのような思いをもって、メサイアが歩まれたように歩みます。そのために私は生きます。メサイアは御国の王、私の王であり、主である。私は主のものです」と告白するところにあるのだ。紀元七十年から始まる新しい時代はメサイアの時代である。「このメサイアの時代において、メサイア中心の心、思い、生活をしなさい」と、パウロは私たちに教えているわけである。

       それ故、ローマ人への手紙13章11節からの箇所を正しく理解するために、は、契約的な観点から見なければならない。聖書全体の契約の歴史に目を留めて、パウロが教えている「時」「夜」「昼」「肉」「暗闇」などについて理解しなければならない。しかし、最終的なポイントは、まことに主イエス・キリストがメサイアであることを私たちが信じるなら、本当に主イエス・キリストを自分の主、自分の王、自分のメサイアとして心の中心に据えて生活を送るということなのである。そのように生きることこそ、キリストを信じる信仰を表わすことなのだ。

       甚だしい肉のわざである遊興、酩酊、淫乱、好色は無論捨てなければならない。兄弟に対する心の罪である争い、ねたみもまた捨てなければならない。何よりも大切なことは、主イエスがそうであったように、私たちも神とその御国を第一に求めることである。私たちは、私たちの主が持っておられたのと同じ心の姿勢を持つべきなのだ。それが、メサイアの時代にその民として生きることの意味なのである。

       聖餐式のときに私たちは、肉の思いを捨てて、主イエス・キリストに従って歩む心を新たにするものである。主イエス・キリストにおいてすべての古い契約の預言と約束が成就されて、キリストは私たちを救うために十字架の上で死んでくださり、よみがえって、信じる者に永遠のいのちを与えてくださった。今、御父の右に座しておられる主イエス・キリストの御恵みを覚えて、心からの感謝を神にささげて、一緒に聖餐式を受けたいと思う。

     

    ――2002年5月19日――

     


    著 ラルフ・A・スミス師
    編集 塩光明長老
    著者へのコメント:shiomitsu@berith.com
     

    ローマ人への手紙13章8〜10節

    ローマ人への手紙14章1〜4節

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