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    ローマ人への手紙15章22〜33節


    15:22 そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを幾度も妨げられましたが、

    15:23 今は、もうこの地方には私の働くべき所がなくなりましたし、また、イスパニヤに行くばあいは、あなたがたのところに立ち寄ることを多年希望していましたので、

    15:24 というのは、途中あなたがたに会い、まず、しばらくの間あなたがたとともにいて心を満たされてから、あなたがたに送られ、そこへ行きたいと望んでいるからです。

    15:25 ですが、今は、聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ行こうとしています。

    15:26 それは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金することにしたからです。

    15:27 彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。

    15:28 それで、私はこのことを済ませ、彼らにこの実を確かに渡してから、あなたがたのところを通ってイスパニヤに行くことにします。

    15:29 あなたがたのところに行くときは、キリストの満ちあふれる祝福をもって行くことと信じています。

    15:30 兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。

    15:31 私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、またエルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなりますように。

    15:32 その結果として、神のみこころにより、喜びをもってあなたがたのところへ行き、あなたがたの中で、ともにいこいを得ることができますように。

    15:33 どうか、平和の神が、あなたがたすべてとともにいてくださいますように。アーメン。

    2002.07.28. 三鷹福音教会 ラルフ A. スミス牧師 講解説教
    三鷹福音教会の聖日礼拝メッセージおよび週報をもとに編集したものを掲載してあります。


    スペインとエルサレムへの宣教

    15章22〜33節

       今日は15章22節から15章の終わりまでを一緒に見たい。少し長い箇所だが、内容的にはっきりしている。この最後の箇所は、二つの宣教旅行のことで占められている。即ち、スペインとエルサレムへの旅のことである。目的地はスペインであるが、時間的にはエルサレムへの旅が先にある。パウロはエルサレムの聖徒たちに持っていくお金を集めて、次の旅に出る前にエルサレムの聖徒たちを支える仕事を果たさなければならなかった。エルサレムの後にスペイン宣教の旅を計画していた。それは幾分将来のこととは言え、ローマのクリスチャンたちが彼の宣教の働きの手助けができることを望んでいた。それで、スペインに行く途中にローマに立寄ろうとして、ローマの教会にその計画を説明している。パウロは、自分の働きのためにローマの教会の人々の祈り求めている。これは非常に重要なポイントである。

       なぜ今までローマに行けなかったのかを少し説明してから、パウロは、ローマに行く前にエルサレムに行かなければならないことを説明する。それから、ローマ訪問の予定について話し、22節で「そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを幾度も妨げられました」と言っている。「そういうわけで」と言っているのは、自分には異邦人に福音を伝える働きがキリストによって与えられ、それを自分は熱心に行なっているが、今まではこの地方でのその働きが完了していなかったために、ローマに行くことはできなかったという意味である。「幾度も妨げられた」と言っているのも、その責任がまだ果たされていなかったということである。

       ローマは既に福音を聞いており、既に教会もある。パウロは、まだ福音が伝えられていない所での働きを終らせなければ、ローマに行くことはできなかったのである。「今その働きが終ったので、もうすぐあなたがたの所に行くことができます」とパウロは言っているのだ。勿論パウロはここで、「異邦人の中でまだ福音を聞いたことのないすべての人がもう福音を聞いた」と言っているのではない。「自分に与えられている働きにおいて行くべき所は全部行ったので、今ローマに行こうとしている」と言っているのである。

       当時は中国にもまだパウロは福音を伝えていないけれども、パウロは中国の存在を知らなかったわけではない。ローマ帝国は中国と貿易を行なっていたし、インドとも貿易をしていた。アレキサンダー大王がインドまで遠征したことは、ローマ帝国の中で教育を受けた者なら誰もが知っていた。アフリカの話も知っていたはずだし、もしかすると、北アメリカや南米についても知っていたかも知れない。だから、「私はそのすべての異邦人の所に行って来た」と言っているのでないのは明らかである。ローマの東方よりも更に遠くにいる異邦人たちへの福音の働きは、他の使徒たちに任されていた。

       だから、「この地方において自分に与えられている働きについては、それを成就したので、今からエルサレムに献金を持って行かなければならない。その後イスパニヤに行くことを計画しています。イスパニヤに行く途中でローマに行き、そこでローマの教会のクリスチャンたちと親しく交わりを持ちたい。それを楽しみにしています。ついにローマの教会を訪ねる機会が与えられたのです」と説明しているのだ。更に東に進んで行くことが自分への神の召しだとは信じていなかったのである。

       そのような意味でパウロは「そういうわけで」と話を始めている。それ故、今までローマに行けなかった理由は、ローマ帝国の東方にある異邦人たちに福音を宣べ伝える働きをまず終らせなければならなかったからである。その働きが終わらなければ、イスパニヤに行くことができない。それで、イスパニヤに行く旅の途上にあるローマにも行けなかった。「もうこの地方には私の働くべき所がなくなりました」と言っているのは、「この地方で自分に与えられた責任はもう果たした」という意味である。

     

    スペインへの旅

       パウロは、何年も次の働き場所であるスペインに行くことを願っていた。その旅の途上でローマに立寄りたいと思っていた。何年間もその時が来るのを待ち望んでいた。「というのは、途中あなたがたに会い、まず、しばらくの間あなたがたとともにいて心満たされてから、あなたがたに送られ、そこへ行きたいと望んでいるからです」と、パウロは自分がローマに行く目的を説明している。パウロはスペインへの旅の途中でローマの教会に立ち寄り、そこでしばらくの間彼らと交わりを持とうとしている。交わりを持つということは、当然ローマの教会に御言葉を教えることにもなるが、ローマの教会からも祝福を受け、励まされて、送り出してもらいたいのである。

       ということは、ローマの教会の献金を受けてからスペインに行こうとしているのだ。パウロはそのことをはっきり言っている。ローマ帝国の東方における彼の働きは予備的なものであった。そこでパウロは、他の者たちが働くための道を備える草分けのような働きをしたのである。ローマ帝国の内外には、まだなすべきことが山積していた。しかし、パウロは特にスペインに行くことを計画していた。スペインは、パウロが福音を伝えるよう召されていた異邦人の地域の一つであった。スペインに教会があったかどうかは定かではないが、まだ誰も福音のための開拓の働きをしていなかった。

       このローマ人への手紙が書かれた年代についてはいろいろ議論がなされているが、恐らく紀元50年代の後半であったろうと思われる。その頃のスペインにはまだ福音は伝わっていなかった。それ故、パウロはスペインに行くことの必要性を強く感じていた。その思いを心に秘めて計画を進め、そのためにずっと祈り求めていた。そして今、ローマの教会のサポートを受けてスペインに行こうと考え、ローマの人々にその計画のことを説明している。この手紙を受けることによって、ローマの教会も福音の働きに加わることになり、一緒にスペインの宣教の働きについて考えることになるからである。

       パウロはローマ帝国の中で、いろいろな教会からの金銭的なサポートを受けて旅をしていた。そのことは使徒行伝を読めばわかる。それでも不足なときには、自分で天幕を作る仕事をして、そのお金で宣教の旅を続けたりした。もしかすると、殆どの場合、天幕を作る働きをしながら旅をしていたのかも知れない。天幕を作る仕事は人に会う機会にもめぐまれるものなので、一日中人に会って話したりすることができたと思われる。それ故、パウロにとって、天幕作りの仕事も福音の働きにつながるものであった。恐らくパウロは、少年の頃に父親からその職を学んだのであろう。

       昔から、手に職を持つというのはユダヤ人の教育の考え方において大切な要素であった。パウロに学者となる教育を与えたけれども、学者であっても手に職を持つように教えるのである。それによって、時代によっては学問では食べていけないこともあるので、いかなる時でも、手に職を持っていれば何かの働きをもって生活することができると考えたからである。パウロはいつでも天幕職人として働くことができたが、同時に、キリストにある教会の協力を求め、献金をも受けたりして、福音の働きをしていた。

       テモテへの第二の手紙を見ると刑務所の中で鎖につながれているときでさえ、「私の書物を持ってきてください」とテモテに頼んでいる。そのような時でさえ、パウロは熱心に本を読んで勉強し、物を書いたり、天幕を作る職人として仕事したり、手紙を書いたりして、地域教会のための働きをしていた。「あなたがたに送られてスペインの旅に出たい」と言っているのは、ローマの教会がその事を覚えて準備してくれることを期待しているのである。その願いどおりに、当然ローマの教会は、パウロが来る前にその旅のために必要となる献金を集めておいたと思われる。ローマの教会を訪ねる目的はそのようなものであった。それはスペインに行く途中のことである。

     

    エルサレム

       今パウロはローマとスペインに行こうとしている。その前に、「聖徒たちに奉仕するために」、エルサレムに行かなければならない。そのことを25節からのところで話している。「それは、マケドニアやアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金することにしたからです」とパウロは言う。パウロはコリントの教会などでも、特別にエルサレムの貧しい聖徒たちを助けるための献金を集めていた。いろいろな教会を訪ねてはエルサレムにいる人々を助けるように呼びかけていた。そうして集めた献金を、パウロは自分の手でエルサレムに持って行こうとしている。パウロの伝道の旅はアンテオケから始まり、町々を巡って福音を伝え、旅の終わりには自分を送り出した教会に戻って報告し、それから新たな伝道計画を立ててはまた出かけて行き、旅が終わればまた戻って報告していた。だから、いつもアンテオケに一旦戻って報告してからエルサレムに出かけたりしていた。

       なぜパウロ自身が献金をあずかって届けるようなことをしたのかというと、それはパウロにとって相応しい働きだったからである。ヨハネ書を読めばわかるが、昔の教会の中には詐欺師のような教師がいて、あちらこちらの教会を訪問してはお金を集めようとしていた問題があった。それで、使徒パウロなら安心してお金のことを任せられる、と思って教会はパウロに献金を持たせた。それは大金であったので、信頼できない人に頼むわけにはいかない事であった。それに、パウロはいつも数人のグループで旅をしていたので、強盗などに遭う危険性からも守られると思われていた。

       パウロ自身が献金の必要を訴えて、パウロ自身がそれを集め、パウロ自身でそれを必要な聖徒たちのところに携えて行くのでなければ、安心はできなかったのではないかと思われる。パウロ自身によって設立された教会に行って、パウロ自身が献金の話をするならば、教会は喜んで神への感謝を表わして献金することができた。パウロはそれを持って極力エルサレムにいる聖徒たちを助けていた。パウロでなけれは、これはいろいろな面で非常に危険且つやりにくい働きであった。他人に任せるにはあまりにもリスクが大きかったのだ。

       ここで、パウロは福音の働きにおいて、異邦人の教会に特別なことを教えようとしている。即ち、エルサレムの教会には極度の貧しさの問題があった。それなのに、なぜ聖徒たちはエルサレムに残っているのか。なぜエルサレムから出ようとしないのか。「エルサレムは破壊される」ということを主イエス・キリストもはっきりと預言しておられた。その預言を信じているので、使徒行伝2章に書いてあるように、エルサレムの聖徒たちは自分の土地を売り、それを教会に献金し、それぞれの必要に応じてみなに分配していた(使徒行伝2章45節)。教会はその献金をもって、教会に逃れてきた多くのやもめたちを助けたりした。破壊されることがわかっていたので、土地を持っていても仕方がなかったのだ。

       例えとしては実にお粗末だと思うが、例えば、「来年大きな地震が来る。富士山も噴火する。東京は壊滅状態になるであろう。神のお告げ!」と、実際に神からの預言として告げられたとしたら、どうしたらよいだろうか。その恐るべき日が何月何日に来るということが明確に宣告されたなら、知らされた人たちは急いで他の人々に知らせたりするだろうが、それよりも、急いで家と土地を売却して、その日が来る前に東京から出て行くに違いないのではないか。それが人の予測等ではなく、神のお告げという話なのだから、必ず実現することなので、人々はそうするに違いない。そのように、当時のエルサレムの場合は、彼らの時代に、即ち、その一世代の中でエルサレムの崩壊と滅亡が神によって宣告されているのである。しかも、その事が起こる前にこれこれの前兆があることも明確に宣告されている。

       それらのしるしを彼らは見ているのに、そしてひどく貧しいのに、なぜエルサレムに残っているのか。それは、キリストの福音に対する忠実の故であり、エルサレムに残ってユダヤ人に福音を伝えるためなのである。他に理由はない。「腐っても鯛」と言うが、エルサレムはやはりエルサレムなのだ。神殿もまだそこにあった。エルサレムはまだユダヤ人の中心的な都市であった。年に三度、ローマ帝国の全土からだけでなく、ローマ帝国以外の所からも、ユダヤ人たちは祭りのためにエルサレムに集まって来る。そこでペテロたちが彼らに福音を伝えているのである。

       ユダヤ人に福音を伝えるためには、エルサレムにいなければだめなのだ。エルサレムはその働きのためには最高の場所なのである。だから、ペテロたちはあくまでもエルサレムに留まって忠実に福音の働きをしていた。エルサレムに留まって福音をユダヤ人に伝えることには実に大きな意味があったのだ。それはパウロがローマ人への手紙1章16節でも言っていることである。パウロは、こう言っている。

    私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。

       「ユダヤ人をはじめ」という言い方をパウロはしている。福音は、まずユダヤ人に伝えられ、それから異邦人に伝えられるのである。ユダヤ人に福音を伝えると言うなら、絶対にエルサレムに本当の教会がなければだめなのである。しかし、エルサレムに残るならば、必ず迫害の問題に遭うし、深刻な貧しさの問題があった。なぜエルサレムの教会にはそんなに多くの貧しい人たちがいたのかについては、既に説明したと思うが、原因は主に二つあった。一つには、大勢のやもめたちが救われたからである。本当にイスラエルの神を信じる多くの年輩のやもめたちが祈りをささげるためにエルサレムの宮に来ていた。彼女たちは神殿に留まって祈りをささげていた。真の神に対する本当の信仰を持っていたそれらの年輩のやもめたちは、キリストの福音を聞いてどんどん救われていった。

       モーセの福祉制度はこのようなやもめたちの世話をするように命じており、主イエス・キリストを信じて救われたその身寄りのないやもめたちを助けることは当然教会の責任であった。そのためにエルサレムの教会の出費は激増し、経済的には貧しい地域教会になっていた。実際にそれだけの人たちを食べさせなければならなかったのである。そのために聖徒たちは自分の家を売り払って教会に献金し、そのやもめたちを助けていた。そのことは使徒行伝の6章1〜6節に記されているとおりである。エルサレムの教会は、経済的に非常に大変な状態にあった。経済的援助を必要としている人たちの数が著しく増大していたのである。

       もう一つの原因は、エルサレムにいるユダヤ人が主イエス・キリストを信じたなら、クリスチャンだというだけの理由で仕事を辞めさせられたり、家から追放されたり、迫害に遭っていたからである。キリストを信じたために迫害を受け、財産を失ったユダヤ人たちの状態について、パウロはヘブル人への手紙の10章32〜34節で語っている。信者たちは、家を失い、職を失い、すべての財産を失ったりしていた。事実エルサレムは、当時ではクリスチャンたちが最も激しく迫害されている場所であった。そのような苦しみがエルサレムの教会の特徴になっていたようである。

       この二点だけを見ても、エルサレムの教会が貧しくなるのは避けられなかったことは容易に理解できる。それでも尚、ユダヤ人に福音を伝えようとするならば、どうしてもエルサレムでなければならなかったのだ。年に三回、ユダヤ人のすべての成人した男性が集まってくるような場所はエルサレム以外にはない。ここしかないのである。だから、ユダヤ人に救いの福音を伝えるためには、万難を排してもエルサレムの教会を死守しなければならなかった。そして、エルサレムの教会を死守するためには、経済的な支援は不可欠であった。皮肉なことに、パウロ自身がエルサレムの教会を迫害した一人であり(使徒行伝8章1〜3節)、そのことも教会を経済的に弱めたであろう。

       それ故、異邦人のクリスチャンたちに対してパウロは支援の必要を訴えているのである。それは、福音が宣べ伝えられるための働きであると同時に、貧しい兄弟姉妹を助ける働きでもあった。これは単に「貧しい人たちを助けよう」という話ではない。神殿が破壊される前の紀元一世紀には、イスラエルはまだ神の御国において特別な地位を占めていたので、エルサレムの教会を助けることは教会全体に与えられている福音のための特別な奉仕なのである。貧しい人たちを助けることによっても、エルサレムの福音の働きを支える必要があったのだ。15章27節で、パウロは次のように説明している。

    彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。

       エルサレムの教会を支えて助けることは、単に貧しい人たちを憐れむという話だけではない。1章16節でパウロは、「ユダヤ人をはじめ」と言っている。異邦人に福音を伝えるために召された使徒であるパウロは、自分の第一の責任はユダヤ人に福音を宣べ伝えることだと告白しているのである。福音の働きはエルサレムから始まったのである。異邦人の救いも、エルサレムから始まったと言ってよい。異邦人の救いの経緯について考えるなら、その祝福はユダヤ人から、ユダヤ教から、そしてエルサレムの教会から来たものであった。エルサレムの教会から、エルサレムにいる使徒たちから、そして、もっと大きい意味において言うなら、ユダヤ人の歴史全体を通して、アブラハムの時から主イエス・キリストの時に至るまでのユダヤ人の歴史から、異邦人は祝福を受けたのである。

       結局のところ、メサイアをこの世にもたらすために神の器として選ばれたのはイスラエルの民であったのだ。キリストがその都と神殿を破壊するためにローマ軍を率いて来られるさばきの時までは、イスラエルには悔い改める最後の機会が与えられていたのである。そして、エルサレムにある教会ほどその悔い改めを求めて働くのにふさわしい場所はなかった。そこはユダヤ人に福音を伝えるための最高の場所であった。それ故、エルサレムの教会が困っているときに異邦人の信者が献金をもって彼らを支えるのは、実に当然な義務なのである。そのようにパウロは異邦人のクリスチャンたちに話しているし、教会にもそう語っている。「あなたがたは霊的なことでは、その人たちから祝福を受けたのだから、彼らがその霊的な戦いの中にあるとき、あなたがたは物質的な物をもって彼らに奉仕すべきである」とパウロは言うのである。

       パウロのこの考え方はどこから来たものなのだろうか。難しい質問ではないと思う。この原則はよく知られているものである。私たちは、神の御言葉を教える者たちを物質的な面において支える義務がある。これは、旧約聖書のモーセの律法の制度から出た考えである。モーセの律法をどのように今の時代に適用すべきかを考えるとき、これは一つの良き模範であると思う。モーセの律法の制度を見るとき、ユダヤ人たちはレビ人を支えなければならないことが定められていた。「祭司たちを支えなければならない」という命令が、その制度の中に含まれているのだ。家畜や献金についても「主の幕屋の任務を果たすレビ人に与えなければならない」ということが定められているし、いけにえをささげる時にも「レビ人をないがしろにしないように」と命じられている。エルサレムに行って祭りを祝うときにも、「レビ人を忘れてはならない」と繰り返し命じられている。

       旧約聖書の中でのレビ人の責任は、聖書の御言葉をよく学んで、それを教えることであった。その働きを大切にするように、神はユダヤ人に教えていた。ビジネスをしている者たちも、農業を営んでいる者たちも、レビ人を助け、お金を出してレビ人たちを支えるように命じられている。それがモーセの律法のシステムである。律法のシステムは、深い意味において御言葉を中心にしているものであることは既に何度か説明したので覚えてくれていると思うが、レビ記に記されているように、イスラエル全体の中にレビ人に与えられた町々が全部で四十八あった。即ち、人を殺した者がそこに逃れるために置かれる六つの逃れの町と、その他に最大の町や貿易ルートの中心に位置する重要な町を含む四十二の町がレビ人に与えられた(民数記35章1〜8節)。

       レビ族が町を持つようにし、レビ族を町に住ませたのは、レビ人が与えられた神への奉仕の働きに専念するためである。レビ人たちは町に住んで、御言葉を教え、音楽を作って主への賛美を豊かにし、文化的な働きを推し進めなければならない。町々は神の民であるイスラエルの文化の中心となるのである。モーセの制度は、神の御言葉を文化の中心に据え、神の御言葉の教えが栄えるように、レビ人以外の全イスラエルにレビ人の働きを支えるように要求している。当時のイスラエルでもそうであったが、今日も同じである。町が文化を導くようになるのだ。その町々の中でエルサレムは、イスラエルの中のどの町よりも影響を与える町になっていた。

       勿論、他の大都市も影響を与えていた。日本でも、東京、大阪、名古屋、札幌等は日本全体に影響を与える大都市である。東京の人口は日本全国の十分の一くらいになっている。そのように、大都市というものは、全国に大変な影響を与える存在なのである。イスラエルではエルサレムがそのような存在であった。イスラエルの主な都市はすべてレビ族の都市であった。例えば、困難な訴訟問題があってどうしてよいかわからないときに、人々はレビ族の町に行ってレビ人に調停を求めたものである。学問を学びたい者は、レビ族の町に行って学んだ。レビ族の町はすべて街道に面していたので、流通と交易の町としても発展した。学問と教育、文化的な働き、貿易と流通などの中心であった。

       そのように、イスラエルは、御言葉を中心とし、御言葉を教える者たちが中心となるようなシステムになっていた。だから、土地の配当を受けたイスラエルのすべての部族は、神の祭司の働きに専念するために土地の配当を受けなかったレビ族をおろそかにすることがないように命じられていた。それは御言葉によって命じられていたので、イスラエルはレビ人を大切にし、彼らを支える責任を負っていた。神が命じた制度を守ることによって、イスラエルは本当に神の都のような国家を築き上げるはずであった。

       それ故、申命記の最初に書いてあるように、周りの諸国がそれを見て驚き、「あなたがたの国は、どうしてこんなに祝福されているのか」と尋ねるとき、イスラエルは御言葉をもって彼らに答えるはずであった。即ち、「私たちは神の戒めどおりに生活しているので、神の祝福が私たちの上にあるのです。これは神の御計画であり、神の方法であり、神が祝福する生き方なのです」と答えるのである。そのように神が命じた制度を守り行なうようにモーセは民に教えた。神は御自分の御計画のすべてを民に示し、レビ族の働きを定め、民がその働き支えるように命じ、御自分の御言葉を中心とする国造りをイスラエルに命じてくださった。それが旧約聖書の背景である。

       そのような背景があるので、パウロたちはキリストの教会を築き上げる働きをするときに、「神の御言葉の働きのために、献金しなさい」と呼びかけるのである。一生懸命働いてお金を得て、それを御国の前進のために使いなさいと教えている。本当の金持ちを見ると、彼らはお金をどうやって使うかに困っているようである。自分の快楽のためにお金をたくさん使うが、財産がありすぎて、その全部を楽しむことができなくなってしまう。あちらこちらに豪邸を建てたりするが、一つの所には年に何日とか数週間とかしか居られない。仕事もしなければならない。とにかく、自分では楽しめないほどのお金や財産がある。使っても使っても残り過ぎてしまう。使いきれないので寄付したりする。

       ヘンリー・フォードやカーネギー、モルガン、ロックフェラー等がその例だが、彼らは教会に献金するわけではないし、神の御国のためにお金を使うわけではないが、自分では使いきれない程のお金が入ってくるときに、その自分のお金をもって何か意味のあることをしたいという気持ちになるものだ。60歳や70歳になったときに、自分が持っているお金は燃やしても燃やしきれないほど持っている。何のために生きてきたのか、と考えるようになるのだ。そのような人は、「どうしようか」と思うときに、“献金”を考えるようになるのが常である。クリスチャンは別にそこまでの金持ちにならなくても、献金を考えてもよいのだ。何のために働いているのか。何のために金儲けをしているのか。何のためにこの世に生きているのか。そのことを考えるとき、そして働く力があるなら、「神の御国の前進のために働こう」という思いを持つはずである。そして、システムとして十分の一の献金をするとき、基本的に教会の働きを支えることができるはずである。

       しかし、ジョン・ウェスレーはその説教の中で、「できるだけ儲けて、できるだけ蓄えて、できるだけ献金する」という三つのポイントを語っていた。彼が言おうとしていたことは、「十分の一献金をしているからと言って満足するな。それ以上はしなくてもよいという思いを持ってはならない。そうではなく、クリスチャンは、自分に何ができるのかという思いを持って神の御国のために働くべきである」ということを言っているのである。御国の前進のためにという思いを持って、一生懸命働いてお金を儲け、出来るだけ蓄えて、できる限りの献金をするのである。新約聖書の中にも、旧約聖書の中にも、そのような考え方がある。

       クリスチャンがみな「私は最低限のことはしているのだから、とやかく言うな」という思いを持って生きているのであれば、パウロたちの働きは成り立たなかったし、教会の歴史全体は成り立たなかったのである。クリスチャンがみなそのように思っているのなら、教会の働きなどいっそのことやめた方がよいのである。何か別に、心を尽くし、力を尽くして、喜んですべてをささげることができるようなものを探したらよいのだ。そのような人は、御国を信じてはいないことになるのだ。教会の歴史を見るときに、それは、クリスチャンたちは献金をして教会の働きを支えて来たという歴史なのだ。

       多くの働きがキリストの教会から始まったというのが歴史の事実である。福祉の働き、病院の働き、教育の働きなどが始められたが、それらの働きはすべて献金に支えられて発展したのである。そして、仏教徒がしているように、目立つ石柱などに献金者の名前を全部連ねて、誰が幾ら献金したのかを見せびらかすようなことはしない。献金に対する感謝の意を表わすことはあっても、境内に入る度に誰が幾ら献金したかが全部見えるような形のものは置かない。そのようにするのは実に空しいことだと思う。パウロは、神の御国のために働き、そして、神の御国に、心を尽くして、思いを尽くして、力を尽くして、御国のために働くように、ローマの教会をも他の教会をも励ましているのである。

       ここでパウロは、献金によってエルサレムの教会を助けるように呼びかけている。まずユダヤ人に満遍なく福音が伝えられてから、エルサレムと神殿に対する神のさばきの日は来る。そのさばきが下された後、ユダヤ人を優先する形は無くなる。ユダヤ人に与えられた旧約の制度は、神殿へのさばきとその崩壊をもって終止符が打たれる。エルサレムの神殿が破壊される時に、「ユダヤ人からはじめなければならない」ということではなくなるのである。神殿破壊をもって、ユダヤ人の時代は徹底的且つ最終的に終わったのである。キリストの教会が、新しいイスラエルとなる。今この教会で礼拝している日本人、アメリカ人、中国人、韓国人が本当のイスラエルなのであって、今イスラエルに住んでいるユダヤ人はイスラエルでもなければ、神の御前で特別な契約の民でもない。「神のイスラエル」は、イエス・キリストを信じる者のことであり、私たちこそ真にアブラハムの子孫なのである。

     

    パウロのために祈る

       そういうわけで、パウロは、エルサレムの教会に行ってその献金の奉仕の働きを済ませてから、ローマに立寄ってからイスパニヤに行こうとしている。ローマに行く時には、主イエス・キリストの福音の祝福を豊かに携えて行くであろうことを、パウロは確信している。つまり、「あなたがたに会うときに、私たちは本当に良い交わりをもって御言葉の祝福を互いに分かち合い、キリストの祝福が私たちを満たしてくださることでしょう。私はその時を待ち望んでいます」と言っているのだ。29節までのところで、ローマの教会もパウロが行くのを楽しみにするように話しているわけである。

       その後の30節から33節までのところは実に興味深い箇所である。使徒であるパウロが、自分の計画と祈りを教会に話している。勿論、熱心に神の御心を求めてその計画について祈っているのだ。自分で勝手な計画を立てておいてから、後で神の祝福を求めて祈っているわけではない。パウロは集められた献金を持ってエルサレムに行こうとして、そのためにも祈っている。そして、自分の働きがローマの聖徒たちに受け入れられるかどうかを心配しているような言い方もしている。パウロは次のように言う。

    兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、またエルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなりますように。その結果として、神のみこころにより、喜びをもってあなたがたのところへ行き、あなたがたの中で、ともにいこいを得ることができますように。どうか、平和の神が、あなたがたすべてとともにいてくださいますように。アーメン。

       パウロは、手紙の最後のところで、「このように私の働きのために、どうか祈ってください」と、ローマの教会のクリスチャンたちの祈りを熱心に要請している。パウロがこれほど熱心に祈りを要請するのは目立つことである。まず「私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出されますように」という祈りがある。エルサレムにいる「不信仰な人々」というのは、主イエス・キリストを信じないユダヤ人たちのことである。「救い出されるように」というのは、エルサレムに行けば逮捕される可能性があるし、殺されてもおかしくないからである。大変な目に遭う可能性は十分にあった。

       ところが、実際には、なんとパウロのローマ行きの旅を、その不信仰なユダヤ人たちが推し進めてくれる結果となったのだ。つまり、結局パウロは逮捕されて、ローマ軍の船に乗せられてローマに行くことになったのである。パウロの祈りは、実に不思議な神の摂理によって、ローマの不信仰なユダヤ人たちの行為を通してかなえられたのである。不信仰なユダヤ人たちにはパウロの働きを助けるつもりは毛頭無かった。彼らは断食してパウロを殺そうと誓い合ったりしていた(使徒行伝23章14節)。何かの形で、何としてもパウロの働きを阻止しようとしていたのだ。そして、パウロを捕らえてローマ軍に引き渡し、ローマに連行させたが、結果としてパウロはもっと早くローマの教会を訪ねることになった。それは、ローマでパウロが福音を宣べ伝える機会となったのである。パウロに反対する者たちの行為が福音の前進のために用いられたのである。

       「その人々の手から救い出されますように」という祈りは、逮捕されることによって空しくされたわけではなかった。神の導きは、パウロが思っていたようなものではなかったのだ。パウロの働きを阻止しようとする不信仰なユダヤ人たちの手から救い出してくれるように祈っている中で、反対されて、逮捕された。「ローマに行って法廷に立たなければならないので、そのために祈ってください」というようなことをパウロは要請していなかったはずである。確かにその人たちの手に落ちたけれども、結果として、その人たちの手から救われてローマに行くのである。つまり、パウロを迫害しようとする者たちがパウロの計画の成就を助けてしまったという話なのだ。パウロがここで切に願っている祈りがどのようにかなえられたかを見るとき、またもや神の不思議な導きに驚かされる。

       「またエルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなりますように」と祈っているが、その理由は、エルサレムの教会中にパウロに反対する者たちがいたからである。エルサレムの教会から来たと言う人たちがいろいろな所で問題を起こしていたりしていたことから、そのことはわかる。だから、パウロが献金を携えてエルサレムに戻るとき、パウロ自身のことでエルサレムの教会の中にいろいろな誤解が起こらないように祈らなければならなかった。15章で「強い兄弟」と「弱い兄弟」の問題が取り扱われているが、エルサレムの教会にはその「弱い兄弟」が大勢いた。パウロが訪問するだけでも、つまずきになったり、摩擦が生じたりして、問題が起こるともかぎらないのだ。

       エルサレムの教会ではペテロたちがリーダーなので、この心配はリーダーたちに対するものではない。エルサレムから来た兄弟たちは、パウロが異邦人と一緒に食べているのを見たとき、絶対に一緒に食べなかったし、ペテロでさえ異邦人から身を引いて離れたりしたことがあった(ガラテヤ人への手紙2章11以降)。そのような弱い兄弟たちがエルサレムにいるので、彼らがパウロをさばき、パウロにつまずいてしまう心配があったのだ。だから、パウロの働きがエルサレムの兄弟たちにも受け入れられるように祈ることを、パウロはローマの教会にお願いしている。その結果として、喜びをもってローマに行くことができるように、そして、その交わりが祝福されたものとなるように祈ってくれることを、熱心にローマの教会に頼んいる。

       パウロは、「私は使徒なのだから、必ず祝福されるに違いない。私がすることはみな成功する。失敗することなど有り得ない」とは考えもしないのである。それは決して使徒の考え方ではない。むしろパウロは霊的な戦いを見ており、自分の働きがすべての聖徒たちの参加している大きな働きに含まれるものであることを認識している。パウロがまるで教会の祈りは重要ではないかのように考えたりふるまったりするなら、教会がキリストのからだであることを暗黙のうちに否定することになってしまうのだ。使徒はそのように考えてはいない。自分はそのからだの一部に過ぎず、その働きはからだの他の部分の協力と参加に依存していることを認識しているのである。それ故、パウロは熱心に聖徒の祈りを求めている。

       御国のために働いているなら、反対する者は必ず出て来る。反対する人によってその働きがつぶされることも確かにある。そして、足りなさによる様々な失敗もある。福音のための働きは、真にへりくだった心を持って熱心に神に祈ることによって進められなければならない。当然過ぎることのように聞こえるが、そうではない。私たちはみな高ぶりやすい者であり、そういう姿勢で福音の働きをすることができるように、常に真剣に求めなくてはならない。使徒パウロでさえ、「私のために神に祈ってください。いろいろな問題があるかもしれないので、私は心配しています。どうか、切なる祈りをもって私を支えて助けてください」と、お願いしているのである。

       私たちはどうだろうか。パウロたちのように、「私は神の御国のために、心を尽くして、力を尽くして働きます」という思いを持っていないなら、「残る実を結ぼう」と言うのは単なるきれいごとに過ぎないのだ。宣教団体たちの話を聞けば、「日本はむずかしい」ということが常に言われている。「日本をやめにして、福音に耳を傾けてくれる所に行こう」という話もよく出て来ている。「日本にはもう十分伝えているし、いくら伝えても聞く耳を持たないから、もうやめよう。経済的にもその方がよいのだから」と言われている。生活のコストが世界一であり、まったく異なる文化を持つこの日本で、残る実を結ぶということは実に大きな戦いなのは事実である。軽い心を持ってそれをしようとするのは、どうにもならない話なのである。

       パウロの祈りの願いの箇所を読むとき、私たちは自分たちのしている福音の働きの意味の深さ、そしてそのむずかしさを、本当に悟っているかどうかが問題なのだ。ここまで熱心に互いのために祈っているだろうか。そして、地域教会として私たちに与えられている働きが、本当に神に受け入れられ、神に祝福され、千代までも残る実を結ぶことができるように、私たちは真剣に祈っているかどうか。これは実に重大なことなのだ。パウロでさえ、教会の祈りを求めており、協力を求めている。使徒であるパウロが、あのコリント教会に助けてもらう必要があるのだろうか。「私は使徒だから、あのような教会に助けてもらう必要はない」とパウロは思ってはいないのである。教会に祈りを求め、助けを求めている。それでこそ使徒の働きは成り立つのである。

       祈りに依り頼むことは神に依り頼むことである。それは、自分たちの働きが神の御恵みによってのみ成るということを認めることなのだ。それ故、私たちもこの日本で福音の働きをすると言うときに、「これは教会全体の働きなのだ」ということを悟らなければならない。この働きが本当に実を結ぶかどうかが、教会の祈りと支援に支えられているのだ。残る実を結ぶという希望をもって、世界で最も困難な宣教地の一つで働く地域教会として、私たちに不可欠なことは、自分たちの働きが立つのも倒れるのもただ神の御恵みによるということを深く理解し、それ故、真にへりくだった心をもって、熱心な祈りに献身することである。祈りは、私たちが皆、どんなに忙しくても、賜物を持っていてもいなくても、歳を取っていてもいなくても、誰でもいつでも分かち合うことのできる働きなのだ。事実、大人が熱心に祈っているのでなければ、私たちの働きの重荷が次世代に伝えられていくことはないであろう。

       それ故、使徒が教会を設立するとしても、「彼は使徒だから、彼に全部任せておけば大丈夫」ということではないのだ。それに、私たちの時代にはもう使徒はいないのである。私たちの教会の祈りの課題のところにいつも載っている課題があるが、それを毎週読み上げて「祈ってください」と説教するのもおかしなことである。しかし、そのいつもの祈りの基本課題が本当に私たち一人一人の心の課題となって、一人一人が熱心に祈りをささげて求めるのでなければ、私たちは真剣に求めてはいないことになる。しかし、どれほど真剣に祈っているだろうか。互いに祈り合うべきことがたくさんあるはずである。子どもたちを育てること、御言葉を子どもたちに教えることにおいても、互いのために祈り合うべきである。子どもたちに洗礼を授ければそれで終わりということではない。地域教会の責任はそこから始まるのだ。私たちに与えられたこの子どもたちが、本当に神を信じ、神を愛し、神に従って歩むように、一緒に熱心に心を尽くして祈る必要があると思う。

       パウロは、このように心を尽くして、熱心に、切に願って祈りをささげるように、教会員にお願いしている。福音の働きが、聖徒の祈りによって支えられているのである。使徒パウロの働きでさえそうなのだ。「この日本で、私たちが本当に残る実を結ぶことができるのかどうかは、地域教会全体の祈りによる」と言っても決して言い過ぎではないと思う。勿論、最終的にそれは神の御心によるということはよくわかっている。しかし、私たちの義務として、祈ることは絶対不可欠なことなのだ。

       「働きは祈りによって成る」と言うとき、子どもたちもそこに含まれている。子どもたちも、「私はまだ5歳だから何もできません」とか「まだ10歳だから」ということではない。子どもたちの祈りも神に届き、神はその祈りを聞いてくださるのだ。子どもたちも心から祈りをもって神に求めるなら、それは本当に地域教会として一つの心を持って祈っていることなのだ。もし子どもたちが幼い時から、そして今、御霊にあって祈っているのでなければ、私たちは自分たちの働きのビジョンを伝えることに失敗しているのである。

       主婦たちも、「私は子育てでひどく忙しいから。これも、あれも、大変なので、なかなか祈ることができない」と言うことはできない。本当に神に心を向けて祈るなら、皿洗いをしている時でも、食事を作る時でも、子どもたちのおむつを換えている時でもかまわない。祈りをもって神に、「どうか、この子らを守り、祝福してください。彼らが御国を受け継ぐ者となりますように、守ってください」と、求めることができるはずである。自分の子どもだけでなく、教会の他の子どもたちのためにも祈るのである。「神の祝福が与えられて、残る実を結ぶことができるように」と、地域教会として一つの心をもってそのように祈らないなら、私たちのしていることはただ消えるものでしかない。祈っていないとすれば、それはまるで自分の力で出来るかのような思い込みをもって生きていることになるのだ。

       そういうわけで、パウロの祈りを見るとき、本当に私たちはもっとへりくだった心を持って神に祈り、神に求め、地域教会として一致して神の御国を求め、本当に残る実を結ぶことを求める心が深められなければならないと、痛感するはずだと思う。これは皆さんを指差して叫んでいるのではなく、真摯な思いをもって「私たち」と言っているのである。聖餐式を受けるとき、本当に何のために生きているのか、自分は何者なのかを、真剣に考えるべきである。そこに戻って、神の御前に救いの感謝をささげるものである。

       私たちは神の御恵みによって救われ、神の子どもとされた。私たちがこの世で生きている意味は御国にあるのだ。この世は御国ではない。この世は私たちの目的ではなく、ここは天国ではない。この世は、私たちが最終的に向かうところではない。私たちが向かうところは永遠の神の御国である。この世にいる間、私たちは汗を流して働かなければならない。この世に真の安息はない。天国に行ったときに本当の休みがある。しかし、この世に生きている間、私たちは自分に与えられている務めを果たすのである。そのことを思い出してほしい。そして、パウロのように、神のみに依り頼み、神の祝福を共に求め、私たちの地域教会としての働きが神に受け入れられるものとなって残る実を結ぶように、祈りにおいて共に励んでいこうではないか。

       「私は主イエス・キリストのものです」ということを思い起こしてほしい。忘れないでほしい。自分を神にささげて、パンとぶどう酒を神からいただくのである。そのパンとぶどう酒はキリストをあらわすものである。神は、私たちを愛して、御自分の御子を惜しみなく私たちに与えてくださった。私たちはその神の愛に対して感謝をささげ、自分を活きた供え物として、神にささげるのである。それゆえ私たちは、聖餐式のときに、御国のために生きる心を新たにするものである。そのことを覚えて、一緒に聖餐式を受けたいと思う。

     

    ――2002年7月28日――

     


    著 ラルフ・A・スミス師
    編集 塩光明長老
    著者へのコメント:shiomitsu@berith.com
     

    ローマ人への手紙15章14〜21節

    ローマ人への手紙16章1〜16節

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