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    エペソ人への手紙1章13〜14節


    またあなたがたも、キリストにあって、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。

    95.05.14. 三鷹福音教会 ラルフ A. スミス牧師 講解説教
    ラルフ・A・スミス師の講解説教を要約し補完する「三鷹福音教会・週報」からの転載です。


    ニューエイジの御霊

    フランスのイエズス会士テイヤール・ドシャルダンは、新グノーシス主義の進化論者としてよく知られている (グノーシス派は、人間の問題を形而上学的なものとして解釈し、神秘的知識による救いを信じる)。彼は「地の一宗教は、天の宗教を攻撃している」と書いた。ドシャルダンをあまりよく知らない読者にとっては、このローマ・カトリックの学者の人生が、キリスト教にではなく「地の宗教」の促進に意図的に捧げられていたことを述べておくことは重要であろう。彼は、ダーウィン主義を一つの“宗教”に変質させたという点で評価されており、ニューエイジ運動の土台を築いた思想家の一人と考えられている。ニューエイジの擁護者によれば、カール・ユング、Abraham Maslow(エイブラハム・マスロー)、カール・ロジャース、アルダス・ハクスレー、Juddu Krishnamurti (クリシュナムルティ) よりも彼は人気があるという。

    ドシャルダンは、自らが“より良いキリスト教”と呼ぶところの“新宗教”を見い出す手助けをするつもりだと主張した。彼にとっての“より良いキリスト教”とは、キリスト教の人格なる神を汎神論の流れに添った“この世の霊”に変えるという意味である。彼は東洋と西洋の合体である地球規模の宗教を推し進めただけでなく、マルクス主義の大ファンでもあった。共産主義者らは彼の著書を推薦することによって賛辞を贈り返している。ミカエル・ゴルバチョフ(現在、International Green Cross/Green Crescent代表) は、よく知られている政治家の中では唯一、スピーチ中でドシャルダンの造語である“ヌースフィア”を引用した人物であろう。

    進化論や量子力学と言ったいわゆる科学理論が神秘的汎神論と組み合わされた時、現代の新グノーシス主義運動の基礎を築く。それは、神秘的汎神論の宗教や哲学の互いに競い合う諸派から成っている。アイレナイオス (AD130頃-200頃) が当時のグノーシス派について「彼らは毎日何かしら新しいものを発明している」と語ったように、我々の時代の新グノーシス主義も多様な変化に満ちている。日本にある何百という新興宗教もそれに含まれる。

    新グノーシス派の復興は何を意味するのか。それは、啓蒙運動と西洋における非キリスト教的合理主義による試みの失敗である。それはまた、教会の勝利が間近であることも意味する。この世の霊は福音の猛攻撃に耐えられない。非キリスト者の世界がその諸前提との一貫性を増すにつれ、(麻原自身とその騙された追従者らのように) 愚かさを増し、また弱さを増す。キリスト者が世界をキリストのためのものとするためには、ただひたすら神のみことばと聖霊の御力に立ち返る必要がある。

     

    御父の約束

    神の御霊という賜物は、まさに新しい契約の祝福の本質である。これは堕落以前から神が御計画されていたことであった。神は、決して人間が最初の創造のからだで永遠に生き続けることを意図してはおられなかった。もしアダムとエバが罪を犯していなかったなら、彼らは歴史においてある期間神に仕え――1000年くらいか?――、それからその歴史上の仕事から“卒業”したであろう。おそらく彼らはエノクのように“携挙”されたと思われる。いずれにせよ、彼らは栄化され、“霊的な”からだが与えられていたはずである (1コリ15:44参照) 。肉の創造は最初から一時的なものと意図されていたのだ。人間は御霊によって栄化され、新しいからだがその神殿となるはずであった。

    サタンの誘惑と人間の反抗によって歴史は取り消されることはなかった。神の人類に対する当初の御計画は贖いを通して成就されるのである。旧約時代を通して、人間は贖いが来ることを待ち望んだ。神は彼らにメシアを約束された。メシアは無限に御霊を与え給うお方である (イザヤ11:2; 42:1; 48:16; 61:1) 。また、それゆえにみことばを我々に語ることがおできになる (ヨシュア3:34) 。メシアはいのちのことばを我々に与えられるだけでなく、御父の約束である (ルカ24:49; 使徒1:4-5; 2:33, 39) 神の御霊 (マタイ3:11; マルコ1:8; ルカ3:16) をも我々に賜わるのである。

    神の御霊は我々を新しい人間とする(ヨハ3:5-6; 2コリ5:17)。我々の“霊的なからだ”(1コリ15:44) は復活の時までは与えられないが (ロマ8:23)、今我々に与えられている御霊の賜物は、将来における相続のしるしなのである。我々は復活の時に真に変えられるべき姿に今もうなり始めている。すなわち、聖霊の宮である。「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まわれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい」(1コリ6:19-20)。

    これは、我々に倫理的力が与えられたことを意味する。「なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。・・・それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです」(ロマ8:2, 4; 参照:ロマ8:1-23; 14:17; 15:13; エゼ11:19-20; 36:26-27)。我々には神の愛の保証が与えられているのである。「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」(ロマ5:5)。御霊は神の真理をもって我々に光を照らし給うのだ。「神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです」(1コリ2:10-12)。

    御霊の賜物は、我々が今持ち、また永遠に楽しむべきすべての祝福の本質である。それでパウロは、神が我々をすべての「霊的祝福」をもって祝福して下さった、と言うのである。我々の心を開いて、我々が「真理のことば、すなわち・・・救いの福音」を信じることができるように我々の心を開いてくださったのは、神の御霊であった。我々の未来における相続の「保証」として、御霊は我々を最後まで守り、また保ってくださるので、我々が神から離れることはあり得ない (エペソ1:14; 1ヨハ3:9)。御霊は我々を「御名のために、・・・義の道に」導かれる。

    神の御霊はまた、我々の証しを可能にし、また励ます。神が御自分の御霊をイスラエルの上に注ぎ、彼らが御自分の証人となると約束された時のように(イザヤ44:1-8)、また御自分を証しするために弟子たちが特別な使徒としての力を持つ、と約束された時のように (ヨハネ14:26; 15:26-27; 16:13)、神の御霊は我々が世界に向かって祝福が流れ出る新しいエデンとなれるよう我々を満たし給うのだ。「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。『だれでも渇いているなら、わたしのものとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っている通りに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。』これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである」(ヨハ7:37-39)。

    キリスト者として我々の最高の義務と特権は礼拝である。パウロのように、我々が神に感謝をささげ、救いの祝福のゆえに神をほめたたえる時、我々は三位一体なる神に栄光を帰している。これが人間が創造された主要な目的であった。それゆえ、それは我々の最大の慰め、また喜びなのである。パウロはここで、新しい契約の御霊に与えられた賜物について瞑想するよう我々に教えているのである。そうすれば、我々は心から神をほめたたえることができるのだ。我々が御恵みにあって喜ぶことを学ぶ時、サタン的神秘主義である偽りの“ニューエイジ運動”は神の選びの民の喜びに満ちた心から溢れ出る神の御霊の御力に対抗することはできないのである。天の宗教が地の宗教をキリストにある喜びと平安とによって圧倒する時にのみ、新しい時代(ニューエイジ)は本当に到来するのである。


    著 ラルフ・A・スミス師 
    訳 工藤響子
    著者へのコメント:kudos@berith.com
     

    エペソ人への手紙1章11〜12節

    エペソ人への手紙1章15〜17節

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