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    エペソ人への手紙5章15〜17節


    そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。

    96.02.04 三鷹福音教会 ラルフ A. スミス牧師 講解説教
    ラルフ・A・スミス師の講解説教を要約し補完する「三鷹福音教会・週報」からの転載です。

    悪しき時代のための知恵

    悪い時代に生きるキリスト者が特に必要とするのは知恵である。言うまでもなく、知恵を得ることはいかなる時代かに関わらず、神の似姿としての人間の目指すところだ。それに、人間の罪深さはどんな時代でも、たとえそれが最高の時代であっても、知恵を特別必要なものとさせるのに十分なほどの、何らかの悪い特徴を持つことを確証してくれる。しかし、特に悪い時代というものも確かにあって、そのような時代には、そうでない時代よりも知恵の必要性は高い。パウロは、自分の生きた時代を特に悪い時代として見、そのためエペソ人たちに知恵を求めるよう教えた。

    我々の時代は悪い時代か

    これは簡単な問いではない。一方で、今日先進諸国に住む人々は、いまだかつて地球上のどんな世代よりも物質的に快適な境遇にいる。この豊かさは歴史の偶然ではない。神からの賜物なのだ――神の御言葉に従った者たちが得た知恵を通して賜った贈り物なのである。資本主義は、マックス・ウェーバー (Max Weber) もある程度気が付いていたように、聖書の教えから正当に引き出されたものである。とは言え、是非とも付け加えなければならないのは、現代の資本主義には聖書とは調和しない多くの特徴が含まれている、という点だ。立憲民主主義はカルヴァン主義の土壌で育った。というのは、それがカルヴァン主義的な教会政治の形態に最もよく似た政治形態であるためだ。だがここでも、現代民主主義が細かいところにおいて多くの点で自由社会のキリスト教的根本基準から逸れていることをつけ加えねばならない。誰でも教育を受けるべきであるというのは、プロテスタントの信ずるところである。すべての男女が、決して短くも易しくもない聖書を読む必要があるためだ。科学はキリスト教ヨーロッパの発明であり、バビロンやエジプト、ギリシャ、ローマ、インド、或いは中国などの偉大な文明国のものではなかった。科学の歴史学者スタンリー・ジャッキー (Stanley Jaki) が詳細に渡って深い説明を施しているように、この差をもたらしたのはキリスト教の創造論であった。

    科学、教育、民主主義、そして自由市場経済は、カルヴァン主義的なスイス、ポーランド、スコットランド、イギリス、そしてアメリカという国々で生まれ育った。それらは世界の多くの場所に広まっていき、キリスト教文明の祝福をもたらしている。今日世界の中で、これらの基本的にキリスト教的な概念を拒んだ所では、貧困と悲惨と圧制とがあふれている。これらのキリスト教概念にしたがった所では、想像を上回る繁栄を手にした。彼らが聖書の神に対する個人的信仰を全く持たなくとも繁栄したのである。それは神の御言葉の知恵が客観的真理であるためなのだ。

    同時に現代人は、自由で開かれた社会にとって最も根本である事柄を忘れている。最近出版されたフランシス・フクヤマ (Francis Fukuyama) 著 Trust: The Social Virtues and the Creation of Prosperity は雄弁な言葉で我々に思い起こさせてくれる――自由な社会を可能にする第一のものとは、経済ではない、倫理なのだ――。これは我々に今日のジレンマをもたらすものなのである。物質的な生活状況がかつてこれほど良くなったことはなかった。が、しかし、繁栄の土台は急激に衰退しており、おそらく回復不可能なところまですでに崩れてしまっているかもしれない。

    我々の文明が崩壊すると言っても、社会が消滅してしまうという意味ではない。それは、社会が急激な変化を遂げるという意味である。その変化は苦しく、多くの人にとってはおそらく致命的なものとなる。過去における大変化は、戦争、経済不況、飢饉、疫病などを伴った。西洋はローマ帝国の末期に文化の衰退を経験し、ローマは引き続き重要であったものの、それによって政治的、物質的、文化的中心地はローマからヨーロッパ西部に移った。もう一つの大きな変化は、政治的・社会的混沌、戦争、経済災害を伴って改革時代の頃にやって来た。広範囲に渡る社会変化は決してなまやさしい課程ではない。キリスト者と非キリスト者を問わず優れた思想家の多くによると、我々のこの時代は、次の社会の大変化の始まりだと言う。ロシア人社会学者ピティリム・ソローキン (Pitirim Sorokin) は、大勢の中で唯一、我々の社会が直面している危機は西洋がかつて直面したものよりも大きいものであると信じている。

    我々は物質的繁栄のゆえに神に感謝を捧げる。物質世界は良きものである。それは人間が楽しむために神によって創造された。我々にはこれらの賜物を感謝し、それらを正しく楽しむ義務がある。その意味で、我々は祝福された時代に生きていると告白することはふさわしいことである。その一方で、我々はこの文明が衰退に向かっていることについて無知でいることはできない。ソローキンは社会衰退の四つの兆候を掲げている。「第一に、一文化の中にある両立し得ない二元論の内的自己矛盾。第二に、はっきりとした構造がないこと――異なった文化から借りてきたものがよく消化されてもおらず、混沌とした諸説が混在する。第三、量的な巨大主義――質を犠牲にした単なる大きさや量。そして第四、偉大かつ永遠の価値の領域における創造力の消耗度の進行」。

    ソローキンによれば、「崩壊の兆候であるこれら四項は、現代の唯物的文化の中ですでに現われ、まん延している」。キリスト者なら、四番目の事項の「創造力」を「忠実」と変えて強調するだろう。契約的忠実という基準からすれば、我々は悪い時代の中で生きている。この時代の指導者たちは、自律的な自己主張の深淵に向かってより深く進もうと目指している。病から解放される「権利」や、性的自由の「権利」、 (一生懸命働くことなく) 物質的幸福を得る「権利」、或いは平等の「権利」. . . これらを主張する「利権運動」は、文化論の衰退の明らかな現われである。というのは、皆が自分の「権利」を主張するなら、両立し得ない主張の混沌状態に終るほかはないからだ。そして、そのような状態は、文化戦争を実際の暴力的衝突へと爆発させるよう脅かすものなのである。実に「death metal」と呼ばれる音楽が、そのようなことをすでに呼びかけている。彼らは、キリスト者たちや教会に対する暴力を提唱しているのだ。

    我々はなにをすべきか

    まず第一に、神が御自身の御国をもたらすために働いておられることをほめたたえよう。一時代の終わりは新たな時代の始まりである。啓蒙主義の物質的文化のための死のもがきは、新しい世界の産みの苦しみである。第二に、我々は神に祈り、その御霊の力によってさらに優れた時代の誕生のための助産婦として働かなければならない。我々には次の時代に影響を与えることができるという大いなる祝福がある。我々は神の御国を建てる一端を担うのに偉大な学者や聡明な指導者となる必要はない。だが、我々には知恵がなければならない。

    我々の時は限られている。我々はそれを神の御国のために最も有効に用いなければならない。我々は、他のより良い時代の人々よりも、誘惑を避けるよう注意深くならなければならない。我々は、回りの文化の圧力に抵抗するために、また言うまでもなく建設的な変化をもたらすために、さらに積極的にキリスト者らしくならなければならない。パウロは「よくよく注意して歩みなさい」と言う。それは「気を付けよ」という意味である。我々は戦いの最前線にいるのだ。

    我々の知恵は「主の御心が何であるかを悟る」ところに見いだされる。これは、聖書の教えを知ること、それを今の時代に適用することができることである。聖書は我々の仕事のための知恵を与えてくれる。その中には、非キリスト教的環境の中で働くために必要な特別な知恵も含まれる。聖書は、子供たちを教育し、彼らを我々自身よりも優れたキリスト者として訓練するのに必要な知恵を与えてくれる。聖書は、我々が回りの世界が家庭をまとめることができないでいるときに、クリスチャン・ホームを建てるため、必要な知恵を与えてくれる。

    しかし、聖書の知恵は何もせずに自然と浸透してくるようなものではない。我々は機会を生かして神の御言葉を求める必要がある。御言葉のうちに成長しているのでなければ、我々の時代や自分たち自身の状況の本質を理解することもできないし、我々のための主の御心が何であるのかも理解することはできない。神の命令はこの世で生きるための倫理的な知恵を我々に与えてくれる。つまり、聖書の教えは我々に自己の人生を見るための正しい視点を与えてくれるのである。聖書には、今の時代に我々が必要としている知恵の教えがあるのだ。「知恵の初めに、知恵を得よ。あなたのすべての財産をかけて、悟りを得よ」(箴4:7)。


    著 ラルフ・A・スミス師 
    訳 工藤響子
    著者へのコメント:kudos@berith.com
     

    エペソ人への手紙5章8〜14節

    エペソ人への手紙5章18〜21節

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